痕〜捨異伝 「炎宴の後」


 炎が、舞っていた。
 炎は俺の視野を埋め尽くしていた。
 がつん。
 鈍い衝撃が、左手に伝わる。
 俺の左手には刀が握られていた。
 普通の刀ではない。
 恐ろしく大きな刀だ。
 常人なら、持ち上げることすら困難だろう。
 それを俺は左手一本で、振り回していた。
 刃の先には異形の者の顔があった。
 俺の刀に、頭蓋を砕かれた顔が。
 しゅっ。
 と、赤い血が目の前を染めた。
「これで、何人目だ?」
 俺の口から、独り言が漏れると同時に、後ろの炎から二つの影が躍り出る。
 一人は、右から。
 もう一人は、左から。
 どちらかが倒されても、もう一方が俺の頸を狙う。
 さすがに闘うために、生きてきた者達だ。
 無駄のない、完璧な攻撃といえる。
 しかし、そんな子供騙しは俺には通用しない。
「――むぅんっっ!」
 気合い一閃、俺は刀を横に薙いだ。
 ぶぉん、という風斬りの音が響く。
 次の瞬間、二体の異形の者は甲冑を纏った躰を俺の刀に、上下に両断されて
いた。
 何てことはない。
 俺は二体の内、僅かに動きの早い方に刃を向け其奴を斬り、そのまま勢いを
殺さずに二人目を斬っただけである。
 端から見れば、ただ手に持った刀を円状に振り回しただけの事だ。
 俺の足下には、異形の者達の骸が転がっていた。
 ある者は、頭の鉢を割られ。
 ある者は、元の形すらわからない肉片に姿を変えていた。
 全て、俺がやったのだ。
 俺の中に沸々と黒い憎しみが、沸き上がる。
 足りぬ。
 足りぬ。
 殺せ。
 殺せ。
 俺の中の『鬼』が叫んでいた。
 いいだろう。
 『鬼』よ、お前の望み通り、もっと殺してやろう。
 異形の者達、エルクゥを。
 俺の唯一人――愛した女を殺した奴らを。

「次郎衛門、こんなとこでどうかしら?」
 秋の柔らかい日差しの中に、その娘は立っていた。
 澄んだ瞳を持つ娘。
 名を、エディフェルと言った。
 その手の籠には山で採れた、茸が山のようにあった。
「おいおい、一体誰がそんなに食べるんだ?」
 俺は笑いながら山菜採りで汚れた手を、ぱんぱんと払う。
「あ、ご免なさい。つい夢中になって……」
 はにかんだ笑顔をエディフェルは浮かべた。
「まぁ、いいさ。今日俺が三人前食べればいいことだ」
「そうね」
 俺の言葉に、嬉しそうな笑顔を浮かべるエディフェル。
 とても、穏やかな気分だ。
 生まれてこのかた、戦場を生業としてきた俺の心には無かったものだ。
 この娘と出会ってから、俺の中の何かが変わろうとしていた。
 今までは、俺だけがこの世界の全てだった。
 でも、今は違う。
 この娘だけは失いたくなかった。例えそれがこの世界の全てのものを敵に回
すとしても。
「それじゃあ、山小屋に戻るから」
「ああ、俺もすぐ行くよ」
 籠一杯の茸と山菜を持って、エディフェルは山小屋のある方向へと姿を消し
た。
「ふうっ‥‥‥」
 俺は一息つくと、エディフェルが消えた林とは反対方向へ鋭い視線を向けた。
「――いい加減、出てきたらどうだ?」
 すうっ、と周囲に影が満ちる。
 流れ雲が日差しを遮ったのだ。
 そして、再び周囲に秋の柔らかい日差しが満ちた時、俺の目の前に一人の女
が立っていた。
 美しい、女だ。俺は素直にそう思った。
 エディフェルに少し面影の似た女だった。
「何時から、気付いていたの?」
 静かに女は、話し始める。
「二、三日前程かな、気配を感じていたのは……」
「……そう、」
「名前は?」
「……リズエル」
 少し躊躇いがちに、女は自分の名を口にする。
 その瞳は穏やかな光を放っていた。
「……どうする、心算だ?」
 俺が、訪ねる。
 周囲に僅かな、剣気が漂う。
「……綺麗な、処ね」
 リズエルが、言葉を漏らした。
 その視線は俺にではなく、紅く色付いた山の木々に向けられていた。
「えっ?」
 俺は思わず、言葉を返す。
「私達は、星々の海を渡って色々な処を見てきたわ……、でも、」
 リズエルの口元に、笑みが浮かぶ。
「こんな綺麗な処は、初めて」
「……そう……だな」
 俺の口元にも、いつの間にか笑みが浮かんでいた。
「……でも、私には」
 リズエルの瞳が曇る。
「ああ、わかっている……」
 俺はもう、リズエルには何も聞かなかった。
「エディフェルは幸せそうだったわね、あんな笑顔、私も初めて見た……」
「そうか……」
 互いに、笑みを浮かべあう。
 しかし、次の瞬間、
 きいぃぃぃんっっ
 耳の痛くなるような、殺気が周囲に満ちる。
 俺とリズエルの周りの地面が、一気に陥没した。
 リズエルの手が、腰にある直刃の剣に手が伸びる。
 俺も、腰の刀に手をかける。
 互いの顔には、もうあの笑顔は無かった。
 先に動いたのは、リズエルの方だった。
 ――だんっ、
 地面を蹴り、リズエルの躰が俺に向かって飛ぶ。
 がぎんっ、
 リズエルの直刃の剣を、俺は自分の刀で受け流す。
 リズエルは空中で体制を立て直し、両手をついて、空中へ飛ぶ。
 俺も腰を沈め、一気に跳躍する。
 ぎんっ、
 ぎんっ、
 ぎんっ、
 互いに空中で刃を打ち合う。
 その時、
 リズエルの刃が、俺の頸に疾った。
 ざわり、
 と、俺の身体中の毛が総毛立つ。
「ぬあっ、」
 俺は次の瞬間、リズエルの腹部に蹴りを叩き込んでいた。
 リズエルの口から紅い血が、吹き出す。
 だが、俺の右肩にはリズエルの剣が突き立てられていた。
 地面に激突する寸前、俺とリズエルは互いに離れ、間合いを取って着地した。
(――できる)
 俺はこの僅かな打ち合いで、リズエルの腕が並のモノではないと感じた。
 普通なら、俺の蹴りを避けるために離れようとするのが当然なのに、リズエ
ルはそれをしなかった。
 何故か?
 リズエルは蹴りを喰らっても、俺に与える傷の方が有利だと即座に判断した
のだ。これは、なかなかできる事ではない。
 頭では判っていても、身体の反応はそうはいかない筈だ。
 ぬるり、と俺の右肩から血が流れる。
 力が入らなかった。
 多分、筋肉の健を斬られたのだろう。
 暫く、右腕は使いモノにならない。
 次の一撃で、決まる。
 俺は、そう判断した。
 刀を正眼に構え、俺は力をその躰に溜め込んだ。
 リズエルも、同様に力を集中する。
 きいぃぃぃぃんっ、
 二人の周囲に、恐ろしいまでの力と剣気が充満する。
 互いの力が限界を超え、周りの木々を震わせる。
「参る!」
「応!」
 俺とリズエルが同時に、疾った。
 その動きはもはや誰にも、止めようがない。
 だが、
「姉さん、やめてぇぇっ!」
 哀しい声が響き、二人の間に一つの影が現れた。
 まっすぐな澄んだ瞳をリズエルに向け、俺の前に立ちはだかる。
「エディフェル!?」
 俺とリズエルは互いに叫び、驚いた。
 次の瞬間、
 俺の目の前で、紅い血の花が咲いていた。
 それは、俺のでもリズエルのでもない。
 エディフェルの血であった。
 鮮やかに散っていく、その血の雫は、まるで花びらのようだった。
 ひどく時間がゆっくりと、流れていた。
 気がつくと、俺はエディフェルの躰を抱き、立ちつくしていた。
「…………嘘だ」
 俺は、呟いた。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 …………暫くして、
 俺の瞳に熱い物が流れていた。
 涙、だった。
 そして俺の手の中には、エディフェルの躰があった。
 その顔は眠っているように、見えた。
 幸せそうな笑顔を浮かべて。
 リズエルの姿は、なかった…………。
 でも、俺は覚えていた。
 リズエルの剣がエディフェルを貫いた時の、顔を。
 あまりにも、哀しすぎる泣き顔を。
 俺は、泣いた。
 エディフェルの躰を抱きしめ、
 声を押し殺しながら、
 ただ、泣き続けた。

 既に、何人のエルクゥを殺したか、俺は覚えていなかった。
 ただ、自分の中にあるドス黒い感情のままに刀を振るっていた。
 その時、俺の周囲で不思議な力の波動が感じられた。
 突然、火球が俺に向かって飛んできた。
「ちいっ!」
 俺は横に飛び、火球を避ける。
 どんっっ、
 火球は俺の周囲に着弾すると、激しい衝撃と共に爆発した。
 エルクゥ達の武器であることは直ぐに判った。
 俺の周囲で、次々と爆発が起こり、周りの木々や地面を削り取ってゆく。
 俺は避けることで精一杯だった。
 その時一瞬の隙が生じてしまった。
 エルクゥの一人が俺を背中から、羽交い締めにしたのだ。
 俺を捕まえたエルクゥが、何か叫ぶ。
 自分と一緒に、撃てと言っているのだ。
「糞っ!」
 抜けだそうと俺はもがくが、ビクともしない。
 恐るべき力といえた。
 俺の目の前に、火球が打ち出される。
 死ぬのか?
 エディフェルの敵もとれずに?
 俺は目を瞑り、覚悟を決めた。
 しかし火球は、俺の目の前で爆発した。
「なっ……、」
 目を開いた俺は、信じられないものを目にした。
 俺を火球から庇ったのは、美しい女だった。
 その姿は、忘れようがない。
 リズエルである。
 リズエルは火球をその体に受け、その場に倒れ伏した。
 俺はその光景を見たとき、いいようのない怒りに震えた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!」
 俺は絶叫し、後ろのエルクゥの腕を引きちぎって刃をその頭に叩き込んだ。
 そして、自分でも信じられない速度で疾る。
 打ち出された火球は、全て叩き落とした。
 エルクゥ達はその時『恐怖』を感じたに違いない。
 次の瞬間、
 エルクゥ達の叫び声と共に濃い血の匂いが辺りを支配した。

「どうして……?」
 リズエルの躰を抱き、俺は言葉をこぼした。
「……貴方が、死ぬと、エディフェルが悲しむもの……」
 弱々しく喋りながら、リズエルは咳き込んだ。
 口の中から、紅い血が溢れ出す。
「……それに、」
「……?」
 リズエルの口元に笑みが浮かんだ。
 あの時の、笑みと同じように。
「エディフェルを見ていて、私思ったの……、私達のやって来たことは間違っ
ていたんじゃないのかって……」
「……リズエル」
「私……貴方とエディフェルを見て、命の大切さを知ったわ。……ありがと
う……」
 リズエルの躰が少しずつ、温もりを失ってきていた。
 俺にはわかっていた。
 彼女が、どんなつらい気持ちでいたのかを。 
「……きっと、また逢えるよな?」
 俺の言葉に、リズエルはまるで母親のような笑顔を浮かべた。
「ええ、いつか出逢えるわ……、遠い未来で」
 それがリズエルの最後の言葉だった。
 その顔はエディフェルと同じように安らかなものだった。

 どくんっ、
 俺の中で、何かが脈打っていた。
 どくんっ、
 どくんっ、
「…………殺してやる」
 俺は呟いた。
 殺してやる。
 殺してやる。
 殺してやる。
 コロシテヤル。
 コロシテヤル。
 コロシテヤル。
 コロ…………、
 呪文のように、その言葉が頭を埋め尽くす。
 ドス黒い感情が躰の隅々まで、広がっていくのが判る。
 ごうっ、
 俺の口から、唸り声が漏れる。
 人の声ではない。獣の声だ。
 ごうっ、
 ごうっ、
 俺の躰がメキメキ、と音を立てて、膨らんでくる。
 ごつん、
 頭に、音が響く。
 ごつんっ、
 ごつんっ、
 頭の中から、何かが出てくるようだ。
 めきっっ、
 めきっっ、
 額から、角が生えてくる。
 俺の躰は、もはや人間のそれではなかった。
 身体の大きさは、倍近くになり、重さは十倍にはなっていた。
 その時――、
 俺は本当の、『鬼』になった。

 ごきん、
 頸の骨が、折れる音が響く。
 あらぬ方向へ向いた首から、血を吹き出しながら死んでいく。
 相手の腕を引きちぎり、その腕を頭蓋骨へ叩き込む。
 ぐしゃり、
 と、柘榴を潰すような音がした。
 俺は、笑っていた。
 俺は殺戮を、楽しんでいた。
 エルクゥだろうと、人間だろうと関係ない。
 ただ、殺すことに無情の喜びを感じていた。
 その時、
「やめてっ、次郎衛門!」
 女の声が、した。
 声の方向へ振り向くと、女が立っていた。
 まだ幼い面影を残した、娘だ。
「もうやめて、次郎衛門、こんな事エディフェルもリズエルも望んでないわ!」
 エディフェル?
 リズエル?
 何のことだ?
 おれはただ、殺すのを楽しんでいるだけだ。
「もう、エルクゥはいないのよ、私が最後の一人……」
 娘はそういうと、俺の躰を抱きしめる。
 邪魔だ!
 俺は娘の頭を潰そうと、腕を振り上げる。
 やめろ!
 俺の頭の中で、声が響いた。
 やめろ!
 やめろ!
 俺の中で、もう一人の俺が抵抗する。
 うるさい!
 うるさい!
 うるさい!
 俺は、もう一人の俺を押さえ込み、娘の頭へ腕を振り下ろそうとする。
 ――その時、
 別の声が響いた。
 とても、優しい声。
 決して、忘れたくない声。
 その声が、優しく俺に語りかけた。
「愛しているわ――次郎衛門」
 その声を聞いたとき、
 ――俺は、泣いていた。

 気が付くと、俺は広い平原に立ちつくしていた。
 服は破れ、全裸の状態だった。
 周りにはおびただしい、エルクゥと人間の骸が転がっていた。
「次郎衛門……」
 俺の胸の中で、声がする。
 瞳を向けると、幼い顔をしたエルクゥの娘が俺の腕の中にいた。
 リネットであった。
「戻れたのね……?」
 リネットの瞳には、涙が浮かんでいた。
「……俺は、一体?」
「もう、いいの……、もういいの」
 そういうと、リネットは俺の胸の中で泣いた。
 気が付くと、俺も泣いていた。
 哀しくて、哀しくて、何故だかわかないが俺は声を殺して泣いた。

「私達生きていきましょう、次郎衛門。……また、再びみんなに逢える、その
日まで」

 
                               〈了〉


1997.11.25.UP

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