百万回生きたねこ。


『百万年も しなない ねこが いました。
 百万回も しんで、 百万回も 生きたのです。
 りっぱな とらねこでした。
 ねこは 百万年も 生きていて いちども なきませんでした。』


 子供に頃に読んだ、絵本のお話。
 初めてこのお話を読んだ時、涙が止まらなかった。
 何故だか、解らない。
 ただ、無性に悲しかった。

 それは多分、自分の姿を見ていたから。

 リズエル。
 アズエル。
 リネット。
 ――そして、次郎衛門。
 百万の朝、と。
 百万の昼、と。
 百万の夜を越えて、私達は再び、出逢えた。
 私は、柏木楓として、生まれ変わり。
 あの人は、柏木耕一として、生まれ変わった。
 『約束』を、信じて。
 『運命』を、感じて。

「……耕一さん」
「うん?」
「明日、……帰って下さい」

 違う。
 そんな事を、言いたかったのではない。
 耕一さんの心が、伝わる。
 心が、染み込んで、拡がる。
 驚き。
 戸惑い。
 そして、悲しみ。
 その奥にある、夢の中の少女への、切なさと思慕。
 エディフェル。
 それが、少女の名前。
 それは、私。

「……俺の事が、嫌いなのかい?」

 好きです、大好きです。

「……嫌いだから、俺に帰れと言っているのかい?」

 そばにいて下さい、例えこの身がどうなろうとも。

 言葉が、出ない。
 只、涙が出てくるのを堪えて、首を振る。
 耕一さん。
 貴方の『エルクゥ』が、伝えている。
 『鬼』の、目覚めを。
 そうしたら、千鶴姉さんは、貴方を――。

「楓ちゃん…………」

 不意に、抱き締められる。
 力強い腕で。
 昔の、あの時の様に。
 吐息が、聞こえる。
 鼓動が、伝わる。
 耕一さん。
 耕一さん、耕一さん、耕一さん、耕一さん…………。
 温もりに、泣きそうになる。
 全てが、どうでも良くなる。

「……おいで」

 目の前で、耕一さんが腕を広げていた。

「でも、これだけは言っておく。もし、此処に来たら、俺は間違いなく君を奪っ
てしまう。怖かったら来なくてもいいんだ……」

 怖くは、無かった。
 貴方と一緒なら、地獄に堕ちたって、構わない。
 だから。
 躊躇いもなく、私は貴方の胸に飛び込んでいった。


『「おれは、百万回も しんだんだぜ」
 ねこは そういいました。
 白いねこは、
 「そう。」
 と いったきりでした。
 「おれは、百万回も……」
 と いいかけて ねこは、
 「そばに いても いいかい。」
 と 白いねこに たずねました。
 白いねこは、
 「ええ。」
 と いいました。
 ねこは、白いねこの そばに、いつまでも いました。』


 私も、お話のねこの様に、ずっとそばにいたかった。
 貴方の温もりを、感じる。
 腕の中に、抱かれる。
 私を呼ぶ、貴方の優しい声が、聞こえた。
 お願い。
 神様、お願いです。
 もう少し、このままで――。

「耕一さんっ!!」
「だめよ、楓っ! あれはもう、耕一さんじゃないわ。只の殺戮を喜ぶ、『鬼』
なのよ!!」
「……そんなの、そんなの、嫌っ!」

 私の目の前に耕一さんが、いた。
 その姿は、正しく『鬼』だった。
 ごうっ、
 ごうっ、
 耕一さんが、啼いていた。
 巨大な爪が、私の躰を掠める。
 千鶴姉さんが、私を抱きかかえて耕一さんから、離れる。
 姉さんの瞳は、悲しく、濡れていた。
 ごめんなさい。
 姉さんは、私に小さくそう囁くと、耕一さんへ立ち向かっていった。
 死ぬ気、なのだ。
 耕一さんの命の炎と、引き替えに。
 私は直感した。
 駄目っ。
 駄目だよ、姉さん。
 また昔の様に、悲劇が繰り返されるだけなのに。
 やっと、みんなが出逢えたのに。
 千鶴姉さんの爪が、『鬼』となった耕一さんの胸を、斬りつける。
 がああっ、
 耕一さんが、呻く。
 血が紅く、夜風に溶ける。
 しかし、耕一さんは倒れない。
 千鶴姉さんの、躰から『エルクゥ』の力が揺らめく。
 今までにない、強力な、力。
 耕一さんからも、今までにない『エルクゥ』の力の凝縮を、感じる。
 次の一撃で、どちらかが――死ぬ。
 私は、そう感じた。
 千鶴姉さんが、疾った。
 耕一さんも。

「駄目えええええええーーーーっっ!!」

 私の叫び声が、夜風を震わせる。
 血が、世界を紅く染めた。
 紅い、紅い、血が。
 それは、私の血だった。
 私は耕一さんを庇うように、千鶴姉さんの前に立ち。
 その爪に、胸を切り裂かれたのだ。
 千鶴姉さんの声が、聞こえる。
 姉さん、ごめんなさい。
 こうするしか、なかったの。
 耕一さんを、どうしても、失いたくないの。
 耕一さん、ごめんなさい。
 『約束』、守れませんでしたね。
 やっと、思い出してくれたのに。
 でも。
 きっと、また逢えます。
 その時は。
 …………その時は。


『ある日 白いねこは、ねこの となりで、しずかに
 うごかなく なっていました。
 ねこは、はじめて なきました。 夜になって、朝になって、
 また 夜になって、朝になって ねこは 百万回も
 なきました。
 朝になって、夜になって ある日の お昼に ねこは 
 なきやみました。
 ねこは、白いねこの となりで、しずかに うごかなく
 なりました。

 そして ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。』


 耕一さん。
 貴方は、泣くでしょうか?
 遠い昔の、あの時の様に。
 あの絵本の、ねこの様に。
 私の骸を、ただ、強く抱き締めて。
 悲しく。
 哀しく。
 百万の朝、を。
 百万の昼、を。
 百万の夜、を、ただ泣き続けるのでしょうか。
 泣かないで、下さい。
 その為に、私は何度でも生き返りたい。
 貴方を、愛する為に。
 愛してもらう為に。
 あの、百万回生きたねこ、の様に。

 朝の日差しが、眩しく輝いていた。
 私の横には、耕一さんが眠っていた。
 もうすぐ、目を覚ますだろう。
 私は、生きていた。
 千鶴姉さんが、咄嗟に爪を逸らせてくれたのだ。
 耕一さんの寝顔に、涙が光っていた。
 哀しい夢でも、見ているのだろうか。
 私は、そっ、と指で耕一さんの涙を、拭う。
 泣かないで下さい、耕一さん。
 これからは、ずっとそばにいますから。
 これからは、ずっと貴方を愛せますから。
 朝の光が、また私の瞼を、焼く。
 目が覚めたら、まず何を話そうか。
 私は、考える。
 それから。
 ――――それから。

                               〈了〉



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