渡る世間は『鬼』ばかり


「楓ちゃん……」
 俺の掌が楓ちゃんの掌と、重なる。
「耕一さん……」
 きゅっ、
 と、楓ちゃんが掌を握り返す。
 指を、絡める。
 どちらからともなく、接吻を交わす。
 熱い、吐息。
 何度も、抱き締める。
 何度も、口付ける。
 何度も、耳元に囁く。
 愛している、と。
 その度に吐息が楓ちゃんの耳穴に、吹き込まれる。
 楓ちゃんの躰が、震える。
 俺の躰に子猫の様に爪を、たてる。
「楓ちゃん……」
「耕一さん、耕一さんっ……」
 何時しか俺は楓ちゃんを呼んでいた。
 俺の囁きに、楓ちゃんも陶然となって狂ったように俺を、呼ぶ。
 互いの魂を呼ぶ、かのように。
 永い刻を、越え。再び、巡り逢って。
 そして。
 俺と楓ちゃんは、結ばれた。


 この時、俺は知らなかった。
 コレが新たな闘いへの序曲だという事、に。


 朝。
 微睡みの中。
 俺の躰が、ゆさゆさ、と揺らされる。
「耕一さん……起きて下さい……耕一さん……」
 優しい声が、聞こえる。
 誰だろう?
 朝の日差しの中にセーラー服が、見える。
 黒い艶やかな髪も、見える。
 ああ。
 楓ちゃんだな。
 俺は理解した。
 ――そうだ。
 俺の悪戯心が、むくりと頭を擡げた。
「……耕一さん」
 白い手が俺の布団に、伸ばされた時。

 がばっっ!!

 その手を掴んで、俺は布団に引き寄せる。
「きゃっ」
 優しく、俺は引き寄せた楓ちゃんを押し倒す――って。
「耕一さん……強引なんですね……」

 ぴきっっ!!

 俺の思考が停止、する。
 俺の目の前にいたのは、千鶴さんだった。
 しかも、セーラー服付き。
「……耕一さん、優しくして、下さいね……」
 千鶴さんが頬を紅く、染める。
 やっぱり、セーラー服を着て。
「……千鶴さん」
 何とか石化から回復した俺が言う。
「はい?」
「何をしているんですか?」
「……何って……ぽっ」
 何故、頬を赤らめるうううううううっっ!!
「それに、なんでそんな格好しているんですか?」
「えっ? ……だって、セーラー服は恋する乙女の必需品ですもの」
 てへっ、と舌を出して千鶴さんが微笑む。
 そーゆー問題か?
 軽い目眩を感じながら、俺は千鶴さんから離れようとする。

 ぎゅう。

「あ?」
 しかし、千鶴さんの手が俺のパジャマを握りしめていた。
 そりゃもう、しっかりと。
「千鶴さん、離してくれない?」
「……い・や♪」
 ――って、オイ。
「……耕一さん」
 千鶴さんが俺を、見つめる。
 切ない、瞳。吸い込まれそうに、なる。
「私……、貴方が好き……です」
 眩しい朝の光の中。
 突然の、告白。
 千鶴さんは――真剣、だ。
 俺の胸の中の罪悪感が、ズキリ、と痛む。
「千鶴さん……俺……」
「解っています……、貴方が楓を、好きな事は」
「…………」
 何も言えなかった。
 どんな言葉もきっと千鶴さんを傷つけてしまう、から。
「でも……この気持ちは、知って欲しかった」
「…………」
「…………だから」
 ん?
 いつの間にか、俺の視界が変化していた。
 天井が見えていた。
 知らない天井だ……って、このネタまだやるかい、この作者は。
 ともかく。
 天井が見えているって事は、俺は布団に寝ているんだよな。
 俺の目の前には、千鶴さんの顔がある。
 ――って、事は。
 俺の背中に冷や汗が、伝う。
 ひょっとして俺、千鶴さんに……。
「……だから」

 押し倒されているのでわああああああっっ!!

「私と一緒に『既成事実』をつくりましょおおおおおおおっっ!!」
「嫌だあああああああああああああっっっっっ!!!」
 俺と千鶴さんの絶叫が見事に、重なった。
 その時。
「あっ……」
 小さいながらもハッキリした声が、俺の耳に届く。
 こ、この声わ。
 ぎぎぎぎっ、と、ぎこちなく動く首を障子の方向へ向ける。
 そこに立っていたのは……、
「か……楓ちゃん……」
 そう。
 そこにいたのは紛れもなく、楓ちゃん、だった。
 大きく澄んだ瞳が、見開かれている。
 楓ちゃんが、見ているモノ。
 多分それは、千鶴さんに押し倒されている俺の姿だろう。
 着衣は乱れ放題。
 しかも、息は荒い。
 ……こんな光景見たら……。
 悪寒が躰中を駆け巡る。
 悪夢とも思える、間。
 そして。
「…………」
「か、楓ちゃん……その……」

 だっ!!

 楓ちゃんはそんな俺の言葉に耳も貸さずに、走り出した。
 あああああああ〜っっ!!やっぱりいいいいいいいいっっ!!
「まっ、まって楓ちゃんっっ!!」
 俺はそう言うと、走り出そうとする。
 しかし。

 ずごべちゃっっ!!

 見事に床と顔面キスをする、俺。
 俺の右足は千鶴さんに捕まれていた。
 間髪入れずに、再び俺は押し倒される。
「大丈夫ですって、痛くしませんからあああああああっっっ!!」
「嘘だああああああああああああああああっっ!!!」
「押し倒したくせにいいいいいいいいいっっっ!!」
「今はあんたが、押し倒しとるわああああああああああっっ!!」
 俺と千鶴さんの絶叫が、再び朝の空気の中に響き渡った。

 熱闘、一時間後。

「ぜえ、ぜえ、ぜえ……」
 俺は荒い息を吐きながら、部屋を出る。
 ひ、酷い目(?)にあった……。
 取り敢えず、楓ちゃんの誤解を解かないと。
 俺はそう思いながら、居間へ歩き出した。
「あっ、耕一……」
 居間の向こう側から、梓がエプロン姿で現れる。
「おう、おはよう、梓」
「ん、おはよ……千鶴姉は?」
「……さあな」
 ジト汗を掻きながら、俺はおとぼけを決めこむ。
 千鶴さんは、俺の部屋で布団で簀巻きにされている、筈だ。
 まあ、あと一時間は、あのままにしておこう。(いいのか、をい)
「そう……」
「?」
 なんだ、梓の奴。
 なんか、そわそわ、しているな?
 何かあった、のか??
「あ、あのさ……耕一……」
 真っ赤な顔をして梓が、話す。
「……なんだよ」
「う……、うん、あの……、その……」
 しどろもどろ、に梓が話す。
 その時。
 洗面所の方へ向かう、楓ちゃんの姿を見かける。
「あ、あのさ……耕一……さ……」
 梓は俯きながら、なにかゴニョゴニョ言っている。
 うーん…………。


「あ、あの……耕一……聞いて欲しいんだ……」
「…………」
「そ、そのさ…………私あんたの事が…………さ……」
「…………」
「す、す、す……」
「…………」
「……好き……なんだ」
「…………」
「……ね、耕一……」
「…………」
「な……、なんか、言ってよ……」
「…………」
「…………耕一?」
「…………」
 梓の目の前には、誰も立っていなかった。
 頑張れっ、梓っ!
 負けるなっ、梓っ!
 私も応援しているぞ。(誰だよ、あんた)


 梓の奴、何話したかったんだろう?
 うーん。
 ま、いいか。
 そう思いながら、俺は楓ちゃんを追って洗面所へ向かう。
 取り敢えず誤解を解かないと、な。
 俺が洗面所の扉を、開ける。

「あっ……」
「えっ……」

 扉を開けて、見たもの。
 そこに居たのは、楓ちゃん、だった。
 しかも、バスタオル一枚、の。
 シャワーを浴びていた、のだろう。
 躰がうっすらと桜色になって、いる。
 俺の心臓が跳ね上がる。
「…………」
 無言の、楓ちゃん。
「……あ……」
 俺は言葉が、出ない。
「……耕一さん」
 先に言葉を発したのは、楓ちゃんだった。
 楓ちゃんの瞳を、見る。
 少し、赤かった。
「泣いて……いたの?」
「…………」
 楓ちゃんは、答えない。
 顔が俯いている。
 俺の胸が、痛む。
 どうする? どうすれば、良い?
 俺の思考が、グルグルと回る。
 伝えなきゃ。
 何、を?
 アレは誤解、だって。
 それから?
 泣かしてごめん、って。
 それから?
 ……それから。

「楓ちゃん……」
「あっ……」

 何も言わずに俺はただ、抱き締めた。
 あの夜の、様に。
 そして。
 ただ一言だけ。

「愛しているよ……」

 と。
 それだけを、言った。

 楓ちゃんは微笑んで、いた。
 すべて、解っている様に。
 そして。
「……私も」
 と、応えた。

 言葉はいらなかった。
 ゆっくりと楓ちゃんの躰から、タオルを取る。
 白い、裸体。
 とても、綺麗だ。
 楓ちゃんは、抵抗しない。
 瞳を見つめる。
 恥ずかしそうな、眼差し。
 そのまま、俺は。
 楓ちゃんを、抱いた。


 一方、コチラは柏木家の食卓。
 そこには柏木初音が、なにやらブツブツと言っていた。
「うん、やっぱりしっかりしないと…………」
 そう言いながら、ウンウンと頷く初音。
「耕一お兄ちゃんと一緒になるために、この優柔不断な性格を変えないと……」
 その手になにやら怪しげなキノコが握られていた。
 …………誰か、この子を止めろ。(だから、あんた誰だよ)


 この日より柏木耕一をめぐる、『第一次柏木姉妹紛争』が勃発する事になる。
 それはまあ、別の話である。

                 〈続く……かああああっ!!(爆)〉

1998.3.14.UP


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