痕〜捨異伝 「炎宴の後」<完全版>



   〜序章〜

 炎が、舞っていた。
 炎は俺の視野を埋め尽くしていた。
 がつん、
 鈍い衝撃が、左手に伝わる。
 俺の左手には刀が握られていた。
 普通の刀ではない。
 恐ろしく大きな刀だ。
 常人なら、持ち上げることすら困難だろう。
 それを俺は左手一本で、振り回していた。
 刃の先には異形の者の顔があった。
 俺の刀に、頭蓋を砕かれた顔が。
 しゅっ、
 と、紅い血が目の前を染めた。
「……これで、何人目だ?」
 俺の口から、独り言が漏れると同時に、後ろの炎から二つの影が躍り出る。
 一人は、右から。
 もう一人は、左から。
 どちらかが倒されても、もう一方が俺の頸を狙う。
 さすがに闘うために、生きてきた者達だ。
 無駄のない、完璧な攻撃といえる。
 しかし、そんな子供騙しは俺には通用しない。
「むぅんっっ!」
 気合い一閃、俺は刀を横に薙いだ。
 ぶぉん、という風斬りの音が響く。
 次の瞬間、二体の異形の者は甲冑を纏った躰を俺の刀に、上下に両断されて
いた。
 何てことは、ない。
 俺は二体の内、僅かに動きの早い方に刃を向け其奴を斬り、そのまま勢いを
殺さずに二人目を斬っただけである。
 端から見れば、ただ手に持った刀を円状に振り回しただけの事だ。
 俺の足下には、異形の者達の骸が転がっていた。
 ある者は、頭の鉢を割られ。
 ある者は、元の形すらわからない肉片に姿を変えていた。
 全て、俺がやったのだ。
 俺の中に沸々と黒い憎しみが、沸き上がる。
 足りぬ。
 足りぬ。
 殺せ。
 殺せ。
 俺の中の『何か』が叫んでいた。
 俺の中の『何か』が吼えていた。
 いいだろう。
 お前の望み通り、もっと殺してやろう。
 異形の者達、エルクゥを。
 俺の唯一人、愛した女を殺した奴らを。


   〜1〜

「次郎衛門、こんなとこでどうかしら?」
 その姿は、幻のように美しかった。
 秋の柔らかい日差しの中に、その娘は立っていた。
 澄んだ瞳を持つ娘。
 名を、エディフェルと言った。
 その手の籠には山で採れた、茸が山のようにあった。
「おいおい、一体誰がそんなに食べるんだ?」
 俺は笑いながら山菜採りで汚れた手を、ぱんぱんと払う。
「あ、ご免なさい。つい夢中になって……」
 はにかんだ笑顔をエディフェルは浮かべた。
「まぁ、いいさ。今日俺が三人前食べればいいことだ」
「そうね」
 俺の言葉に、嬉しそうな笑顔を浮かべるエディフェル。
 とても、穏やかな気分だ。
 生まれてこのかた、戦場を生業としてきた俺の心には無かったものだ。
 この娘と出会ってから、俺の中の何かが変わろうとしていた。
 今までは、俺だけがこの世界の中心だった。
 そして、多くの骸が転がる戦場が俺の周りの世界だった。
 でも、今は違う。
 この娘だけは失いたくなかった。例えそれがこの世界の全てのものを敵に回
すとしても。
「それじゃあ、山小屋に戻るから」
「ああ、俺もすぐ行くよ」
 籠一杯の茸と山菜を持って、エディフェルは山小屋のある方向へと姿を消し
た。
「ふうっ……」
 俺は一息つくと、エディフェルが消えた林とは反対方向へ鋭い視線を向けた。
 人影らしきものは、ない。
「いい加減、出てきたらどうだ?」
 ――すうっ、と周囲に影が満ちる。
 流れ雲が日差しを遮ったのだ。
 そして、再び周囲に秋の柔らかい日差しが満ちた時、俺の目の前に一人の女
が立っていた。
 美しい、女だ。
 俺は素直にそう思った。
 エディフェルに少し面影の似た女だった。
「何時から、気付いていたの?」
 静かに女は、話し始める。
「二、三日前程かな、気配を感じていたのは……」
「……そう、」
「名前は?」
「……リズエル」
 少し躊躇いがちに、女は自分の名を口にする。
 その瞳は穏やかな光を放っていた。
「……どうする、心算だ?」
 俺が、訪ねる。
 周囲に僅かな、剣気が漂う。
「…………綺麗な、処ね」
 リズエルが、言葉を漏らした。
 その視線は俺にではなく、紅く色付いた山の木々に向けられていた。
「えっ?」
 俺は思わず、言葉を返す。
「私達は、星々の海を渡って色々な処を見てきたわ……、でも、」
 リズエルの口元に、笑みが浮かぶ。
「こんな綺麗な処は、初めて……」
「……そう、だな」
 俺の口元にも、いつの間にか笑みが浮かんでいた。
「…………でも、私には」
 リズエルの瞳が曇る。
「ああ、わかっている……」
 俺はもう、リズエルには何も聞かなかった。
「エディフェルは幸せそうだったわね、あんな笑顔、私も初めて見た……」
「そうか……」
 互いに、笑みを浮かべあう。
 しかし、次の瞬間、
 きいぃぃぃんっっ
 耳の痛くなるような、殺気が周囲に満ちる。
 俺とリズエルの周りの地面が、一気に陥没した。
 リズエルの手が、腰にある直刃の剣に手が伸びる。
 俺も、腰の刀に手をかける。
 互いの顔には、もうあの笑顔は無かった。
 先に動いたのは、リズエルの方だった。
 ――だんっ、
 地面を蹴り、リズエルの躰が俺に向かって飛ぶ。
 がぎんっ、
 リズエルの直刃の剣を、俺は自分の刀で受け流す。
 リズエルは空中で体制を立て直し、両手をついて、空中へ飛ぶ。
 俺も腰を沈め、一気に跳躍する。
 ぎんっ、
 ぎんっ、
 ぎんっ、
 互いに空中で刃を打ち合う。
 その時、
 リズエルの刃が、俺の頸に疾った。
 ざわり、
 と、俺の身体中の毛が総毛立つ。
「ぬあっ、」
 俺は次の瞬間、リズエルの腹部に蹴りを叩き込んでいた。
 リズエルの口から紅い血が、吹き出す。
 だが、俺の右肩にはリズエルの剣が突き立てられていた。
 地面に激突する寸前、俺とリズエルは互いに離れ、間合いを取って着地した。
 できる。
 俺はこの僅かな打ち合いで、リズエルの腕が並のモノではないと感じた。
 普通なら、俺の蹴りを避けるために離れようとするのが当然なのに、リズエ
ルはそれをしなかった。
 何故か?
 リズエルは蹴りを喰らっても、俺に与える傷の方が有利だと即座に判断した
のだ。
 これは、なかなかできる事ではない。
 頭では判っていても、身体の反応はそうはいかない筈だ。
 ぬるり、と俺の右肩から血が流れる。
 力が入らなかった。
 多分、筋肉の健を斬られたのだろう。
 暫く、右腕は使いモノにならない。
 次の一撃で、決まる。
 俺は、そう判断した。
 刀を青眼に構え、俺は力をその躰に溜め込んだ。
 リズエルも、同様に力を集中する。
 きいぃぃぃぃんっ、
 二人の周囲に、恐ろしいまでの力と剣気が充満する。
 互いの力が限界を超え、周りの木々を震わせる。
「参る!」
「応!」
 俺とリズエルが同時に、疾った。
 その動きはもはや誰にも、止めようがない。
 だが、
「姉さん、やめてぇぇっ!」
 哀しい声が響き、二人の間に一つの影が現れた。
 まっすぐな澄んだ瞳をリズエルに向け、俺の前に立ちはだかる。
「エディフェル!?」
 俺とリズエルは互いに叫び、驚いた。
 次の瞬間、
 俺の目の前で、紅い血の花が咲いていた。
 それは、俺のでもリズエルのでもない。
 エディフェルの血であった。
 鮮やかに散っていく、その血の雫は、まるで花びらのようだった。
 ひどく時間がゆっくりと、流れていた。
 気がつくと、俺はエディフェルの躰を抱き、立ちつくしていた。
「…………嘘だ」
 俺は、呟いた。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 嘘だ。
 …………暫くして、
 俺の瞳に熱い物が流れていた。
 涙、だった。
 そして俺の手の中には、エディフェルの躰があった。
 その顔は眠っているように、見えた。
 幸せそうな笑顔を浮かべて。
 リズエルの姿は、なかった……。
 でも、俺は覚えていた。
 リズエルの剣がエディフェルを貫いた時の、顔を。
 あまりにも、哀しすぎる泣き顔を。
「リズエルを恨まないで……」
 死の間際に言った、エディフェルの言葉を思い出す。
「…………忘れない。……私もあなたのこと……決して、忘れない。……私、
ずっと待っているから。
 ……あなたに再び、こうして抱きしめてもらえる日を……ずっと、ずっと、
夢見ているから…………」
 俺は、泣いた。
 エディフェルの躰を抱きしめ、
 声を押し殺しながら、
 ただ、泣き続けた。


   〜2〜

 数日後、俺は長瀬大老の屋敷に来ていた。
 屋敷の一室で、俺と大老は湯気の立つ茶碗を挟んで、対峙していた。
 屋敷の庭には彼岸花が、風に揺れている。
「……できぬ、相談だな」
 長瀬大老が静かに、言う。
 既に初老の年に差し掛かっているはずだが、その瞳の光には老いの影は一片
も見えない。
「何故ですか!」
 俺の激昂した言葉を、長瀬大老は静かに受け流す。
 長瀬大老。
 この国に置いて、一番の発言力を持つ重鎮の一人。
 俺は鬼(エルクゥ)討伐の進言を頼みに、屋敷へ赴いていた。
「ふぅむ……」
 ぽんぽん、と扇子で肩を叩きながら長瀬大老は困った表情をする。
 まるで、駄々を捏ねている子供をあやす様な顔だ。
「良いか、次郎衛門。過去二回の討伐において、我が国の大まかな将達が戦死
しておるのだ。これ以上、我が国の兵をさくことは、我が国にとっても死活問
題なのだ」
 一息ついて、大老は言葉を続ける。
「只でさえ、この世は戦国乱世の時代。他国の軍が何時攻めて来るとも限らぬ
のだよ」
 この国で随一の切れ者と言われている、長瀬大老の言葉は俺ももっともだと
思う。
「……しかし、」
「…………それにな、次郎衛門」
「…………?」
 俺の言葉を、長瀬大老が遮る。
 長瀬大老の目が、すっ、と細くなる。
「私怨などでは、兵は出せぬよ……」
「…………!!」
 俺は、絶句した。
 大老はそう言うと、静かに部屋を退出する。
 障子の隙間から流れる、秋の風が静かに彼岸花の香りを運んでいた。

 長瀬大老との会見の後、俺はエディフェルと共に過ごした山小屋に来ていた。
 僅か数日した経っていないのに、山小屋はすっかり荒れ果てている。
 その山小屋の周りには、紅い花が咲いていた。
 彼岸花だ。
 まるで、エディフェルの死を悲しんでいるかの様に花弁は紅く、色付いてい
た。
「綺麗な花ね……」
 エディフェルの言葉を、思い出す。
「なんて言うの、この花?」
「……彼岸花というのさ、曼珠沙華ともいうがね。煎じれば薬にもなるんだ」
「ふうん……」
 そう言いながらエディフェルは、そっ、と彼岸花を摘んで頬をよせる。
「……なんだか、哀しい花ね」
「…………」
 哀しそうなエディフェルの顔を俺は唯、見ているだけだった。
 その彼岸花は、今エディフェルの葬列を悲しむ花となっていた。
 ――その時、
「……次郎衛門、ですか?」
 幼い、娘の声が俺の後ろで響く。
 振り向くと、其処には幼い面影を残した美しい娘が立っていた。
 そして、その躰にはエルクゥの服を纏っている。
 俺は、素早く腰の刀に手を伸ばす。
「待って下さい。闘う心算は、ありません……」
「…………では、何故此処に来た?」
 抜刀の構えを解かずに、俺は訪ねる。
 娘は俺に向かって無造作に、歩み寄ってくる。
 殺気は、感じられない。
 娘はふと、小屋の周りの彼岸花に目を留めた。
「……綺麗な、花ですね」
「…………」
「……でも、とっても哀しい花」
「…………!」
 俺は目の前の娘がエディフェルと重なって見えた。
「……君は、エディフェルの……?」
 俺の言葉に、エルクゥの娘は頷く。
 その時、
「止めなさい!、リネット!」
 突如、気丈な女の声が響いた。
 リネットと呼ばれた幼い娘の後ろに、もう一つの影が現れる。
「アズエル姉さん……」
 其処にいたのは、リネットと同じエルクゥの娘だった。
 まるで、野生動物を思わせる様なしなやかな躰には軽装ではあるが、エルクゥ
の鎧を纏っている。
 リネット同じく美しい顔をした、娘だ。
 しかしその表情には、激しい怒りの色があった。
「あなた、エルクゥの同胞を裏切る気なの?」
「……違うわ、私は新しい生き方に賭けてみたいの」
 アズエルの激しい言葉に、リネットは瞳を逸らし、静かに答えた。
「姉さんだって、そうでしょう? だって……」
「うるさい!」
 アズエルの言葉が、激しく遮る。
 その瞳が、俺の方へと向けられた。
「……貴方が、次郎衛門ね」
「ああ、」
 そう言うと、アズエルはゆっくりと歩み寄ってきた。
 その瞳は、真っ直ぐに俺を見つめ、澄んでいた。
「……エディフェルは、幸せだった?」
 ふと、アズエルはそう言った。
「……少なくとも、不幸ではなかったさ」
「そう…………」
 アズエルの瞳が、一瞬、優しくなる。
「…………手合わせ、お願いできるかしら?」
 俺はアズエルの言葉に頷いて、答えた。

 きいいぃぃぃぃんっっ、
 耳が痛くなるような、剣気が辺りを張りつめる。
 森の動物達の声が、突然止まる。
 俺とアズエルは、静かに対峙していた。
 俺は、刀を青眼に構える。
 対して、アズエルは無手であった。
 こおおおぉぉっっ、
 互いに息を吐き、己の力を溜める。
 ぎりぃっ、とその力を撓めて、捻った。
 突如、
 かっっっ!!
 と、辺りに雷鳴が響いた。
 まるで、天が二人の力を恐れるように。
 それが合図のように、俺とアズエルは同時に疾った。
「ひゅっっ!」
 アズエルの口から、鋭い呼気が迸り、蹴りが跳ぶ。
 右の、蹴りだ。
 俺は紙一重で、躱わす。
 そして、踏み込もうとすると、
 ぞわり、
 瞬間、俺の中の「何か」が動いた。
 無意識に、俺は後ろに跳んでいた。
 そして、半瞬遅れて俺のいた空間にアズエルの左の蹴りが空を切った。
「くっ、」
 アズエルが言葉を漏らす。
 俺は、アズエルの技に驚愕した。
 空中での間髪入れずの、二段蹴り。
 まず、常人ならば躱わすことはできない。
 俺が躱わせたのは、俺の中のエルクゥの本能のお陰といえた。
 そう思った、瞬間、
 ずんっっっ、
 俺の頭に、鈍い衝撃が疾った。
「……なっ、」
 一瞬何が起きたのか、俺には判断ができなかった。
 それは、アズエルの蹴りであった。
 アズエルは左右の二段蹴りではなく、更に上段からの踵落としを加えた、三
段蹴りを放ったのだ。
 だんっ、
 と、地を蹴り、激痛に耐えながら俺は空中のアズエルに刃を疾らせた。
 横薙ぎの、一太刀。
 空中にいる、アズエルには交わす手段は、無い筈だ。
 アズエルの躰に、刃が吸い込まれたと思ったとき。
 がつっっ、
 俺の腕に、アズエルの蹴りが叩き込まれた。
 ただ、蹴ったのではない。
 俺の太刀を避けるために、俺の腕を踏み台にしたのだ。
 恐るべき、判断力と瞬発力といえる。
「……やるな」
 アズエルの蹴りによって痺れた、腕を押さえながら俺は呟いた。
「其方こそ……」
 アズエルは、息も乱さずに答える。
「まさか、三段目の蹴りを喰らって、反撃に転ずるとはね……、少しでも遅れ
たら、真っ二つだったわ」
 にっ、
 アズエルの口に笑みが、浮かぶ。
 リズエルの様な、優しさはない。
 子供が、大好きな友達を見つけた様な、笑みだった。
 ぽつり、
 ぽつり、
 ぽつり、
 雨が、降り出していた。
 雨足は直ぐに激しくなり、俺とアズエルを濡らした。
 ざあっ、
 ざあっ、
 躰に雨粒が、降り注ぐ。
 再び、互いの躰が疾る。
 アズエルの拳が、俺の顔面を捉える。
 それを、俺は刀の柄で払い落とす。
 返す刃で、俺は刺突を疾らせた。
 しかし、それはアズエルの髪を一房、散らせただけだった。
 続いて、アズエルの連打が打ち込まれる。
 手刀。
 掌打。
 掌打。
 裏拳。
 続いて、下段蹴り。
 回し蹴り。
 其処から、軸足を切り返しての、転身蹴り。
 肘打ち。
 再び、裏拳。
 強烈な連撃が、俺の躰を打つ。
 しかし、それは何故か心地よい痛みだった。
 躰から水滴が、弾け跳ぶ。
 水滴は小さな虹を、描いた。
 楽しい。
 楽しい。
 俺は無意識に感じていた。
 俺の口元には、笑みが浮かぶ。
 それは、アズエルも同様だった。 
 アズエルの連打を切り返して、俺も連技を打ち込む。
 袈裟斬り。
 右薙ぎ。
 逆袈裟。
 左切上。
 唐竹。
 刺突。
 一気に、六連撃を放つ。
 ぞわり、
 俺の中の「何か」が、蠢く。
 首筋の毛が、ちりちりとする。
 アズエルの右の拳が、地面を叩いた。
 どぉんっ、
 激しい音を立てて、土煙が爆発する。
 目眩ましか?
 直感で判断した俺は、刃を地表スレスレに疾らせる。
 例え、姿を隠せても足下は斬れる筈だ。
 しかし、それは空を斬る。
 ずんっっ、
 背中に衝撃が、加わる。
「ぐっっ!」
 空中からの、蹴りか?
 地面に両手を着き、そのまま俺は跳躍した。
「噴っっ!!」
 懐から小柄を出し、空中のアズエルへ放つ。
 きいんっっ、
 澄んだ音を立て、小柄は叩き落とされる。
 僅かに生まれた、隙。
 それが、俺の狙いだった。
「勝機いぃぃぃっっ!!」
 俺が、叫ぶ。
 アズエルの肩に、太刀が叩き込まれた。
 俺の全力と、体重を掛けた一撃だ。
 アズエルの躰は、轟音と共に地面に叩き付けられた。

「負けたわ……」
 アズエルが微笑む。
 リネットはアズエルの肩に手を当て、エルクゥの「力」で、傷を治していた。
 雨は、止んでいた。
「でも、どうして?」
 アズエルが、訪ねる。
 最後の一撃を、峰打ちにしたことを聞いているのだ。
「――また、」
「えっ?」
「……また、闘いたかったからな。それに……」
 あの最後の一撃の時……、
 俺は、怖くなったのだ。
 俺の中に俺とは違う、「何か」が這い出そうとしていた。
 恐怖。
 間違いなく、俺はそれを感じていた。
「……それに?」
「……それに、エディフェルが悲しむからな」
 俺の言葉を聞いた、アズエルは何故か哀しそうな表情をした。
 リネットの治療が終わり、アズエルはゆっくりと立ち上がる。
「姉さん、どうするの……?」
「そうね、リズエル姉さんのように出来るだけ逃げ切ってみせるわ」
 心配そうな、リネットの言葉にアズエルは陽気に微笑んで見せた。
 リネットの頬を撫で、アズエルは俺に掌を差し出した。
「……じゃあね」
「……ああ」
 差し出された掌の柔らかさに少し戸惑いながら、俺は優しく握り返した。
 その時、
 ずんっっっ、
 鈍い音が、林の中を木霊した。
 俺の顔に生暖かい物が、降りかかる。
 紅い、血であった。
「…………えっ?」
 アズエルの瞳が大きく、見開かれる。
 一体何が起こったのか、解らないような表情をする。
 その胸には、奇妙な物が生えていた。
 黒く光る、棒のようなもの。
 巨大な、槍であった。
 槍はアズエルの背中から、胸を貫いて地面に突き立っていた。
 つう、とアズエルの口元に紅い血が滴り落ちる。
「姉さん…………!」
 リネットが小さな悲鳴を、あげる。
「――馬鹿者が」
 林の中に声が響いた。
「例え、皇族といえど、裏切ることはその死を以て贖わなくては、ならない我
らの血の掟を忘れたか」
 声が、静かに響く。
 その声は、あまりにも冷たく、そして畏怖に満ちていた。
「ダ、ダリエリか……?」
 アズエルの口が、血を滴らせながら驚愕の言葉を、吐く。
 その言葉に、応ずるようにゆらり、と人影が現れた。
 大きな、男だ。
 まるで山のような巨漢であった。
 その瞳は凍るように、冷たい。
「まさか、リズエルと同じく我らを裏切るとはな」
「くっっ……」
 アズエルの顔が、苦痛に歪む。
 ずるっっ、
 アズエルは自らの手で、槍を引き抜いた。
 その膝が地面に着き、目の前の地面が血で紅く染まる。
「…………ダリエリ、頼みがある」
 荒い息を吐きながら、アズエルが言う。
 顔色は、大量の出血の為、白蝋の様になっていた。
 治療のために走り寄ってきた、リネットをアズエルは手で制した。
「…………何だ、」
 冷たい視線を、アズエルの方へ走らせながらダリエリが答えた。
 その言葉には感情というものは、無い。
「今日だけ、この二人を討つことを見逃してやって欲しい……」
 アズエルの言葉が、静かに秋風に溶ける。
「…………なっ」
「姉さん!」
 俺とリネットが驚きの声をあげる。
 アズエルのその瞳には、強い決意の光が宿っていた。
「…………で、その見返りは、何だ?」
 ダリエリは、静かに言葉を紡ぐ。
「皇族四姉妹の一人、このアズエルの命では、不服か?」
「…………!」
 ダリエリが、少し驚いた顔をする。
「……次郎衛門、」
 アズエルが俺の方へ、向き直る。
「……お前は生きろ、リネットの為に、――そして、エディフェルの為にも」
「アズエル……」
「また、再びお前とは出逢えそうな気がするよ……、その時は……」
 そう言いながら、アズエルは静かに微笑む。
 それが俺の最後に見た、アズエルの微笑みだった。
 たんっっ、
 アズエルの躰が、疾った。
 その動きは、緩やかだった。
 アズエルの手刀が、ダリエリに向かって疾る。
「――姉さんっっ!」
 リネットの哀しい声が、響いた。
 ――アズエルは、絶命していた。
「……あ」
 その手刀は、ダリエリの手前で止まり。
「あ……あ……おお……」
 ダリエリの腕に、胸を貫かれて。
「ぅ……おおお……」
 大きな、血の華が咲いていた。
「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!」
 俺は、疾った。
 手に持った刀を振り上げ、ダリエリに叩き込む。
 力の限りを込めた、一撃を。
 だが、
 バキイィィィィンッッ、
 俺の手の中で、澄んだ音がした。
 俺の一撃は、ダリエリの右腕一本で受け止められていた。
 そして、刀はダリエリの腕から真っ二つに折れていた。
「……なにっっ!?」
「つまらんな」
 ダリエリが、そう言い放った時。
 ――どぐっっっ、
 と、俺の胸板に衝撃が、疾る。
 ダリエリの左手の、掌底。
 その一撃で、俺の躰が吹き飛ぶ。
 まるで、風に舞う木の葉のように、俺は地面を転がった。
 躰が千切れそうな、痛みが全身を麻痺させる。
 げえっっ、
 げえっっ、
 げえっっ、
 地面に這い蹲りながら、俺は胃液を吐く。
「今は、殺さんよ……、それがアズエルの、最後の頼みだったからな」
 ダリエリはそう言うと、俺達に背を向けて歩き出した。
「ま、まて……」
 俺は、立ち上がろうとする。
 だが足が縺れ、俺は無様にも地面に倒れる。
 ダリエリの姿は、既に林の中に消えていた。
 糞っ、
 糞っ、
 くそうっ、
 くそうっ、
 俺は自分の拳を、地面に叩きつける。
 何度も、
 何度も、
 何度も、
 拳から紅い血が出てきても、俺は止めない。
 自分が、情けなかった。
 死んでしまいたかった。
 愛する女を守れなかった自分に。
 そして今度はその家族すら、守れなかった。
 ぎりっ、と奥歯を噛み砕かんばかりに歯を食いしばる。
 何のための「鬼」の力だ。
「…………次郎衛門」
 リネットの声が、した。
 余りにも、哀しい声。
 俺は、振り向けなかった。
 ただ、
 何度も地面を、叩き続けるしかなかった。

 周りの森の紅く色付いた木々が冬支度を始めた頃。
 俺の元に長瀬大老から、使者がやってきた。
 鬼(エルクゥ)の討伐隊が再結成されたという、知らせだった。
 無論、俺はこの討伐隊に参加することにした。
 それが、復讐の炎にその身を焦がす俺の意志なのか。
 それとも、俺の中で蠢く「何か」の意志なのか。
 解るはずもなかった。


   〜3〜

 既に、何人のエルクゥを殺したか、俺は覚えていなかった。
 ただ、自分の中にあるドス黒い感情のままに刀を振るっていた。
 討伐隊の兵士達はもはや、誰一人生き残っていない。
 俺自身の体力も、もはや限界を越えていた。
 ぜえっ、
 ぜえっ、
 ぜえっ、
 荒い息を、つく。
「大したモノだな……」
 俺の目の前に、新たな人影が現れた。
 大きな、男だ。
 まるで山のような巨漢であった。
 躰には、エルクゥの鎧を窮屈そうに纏っている。
 その瞳は凍るように、冷たい。
 その姿は、忘れようがなかった。
「僅か、一人で我々の精鋭の殆どを葬るとはな……、あの時、殺さなかったの
は正解らしい」
「ダリエリ……」
 俺の瞳が、復讐のドス黒い炎で満たされる。
 にいいっ、
 凶悪な、笑みだ。
 寒気が、する。
 エルクゥの中で、最強の戦士。
 その名に相応しい鬼気を、奴は漂わせていた。
 めきっ、
 めきっ、
 めきいっ、
 ダリエリという男の、躰が軋み声をあげる。
 ぶつんっ、
 ぶつんっ、
 その躰に纏っていた、鎧の縫糸が切れる。
 ダリエリの躰が、ゆっくりと変化していた。
 より、闘いに適した躰へと。
 より、凶悪な獣へと。
「強キ者ヨ、我ト闘エ……」
 静かに、ダリエリが呟く。
 その声は、最早人間の発する声ではない。獣か物の怪が、無理矢理人間の声
を出している様な声だ。
 その時、
 どくんっ、
 俺の中で、『何か』が蠢いた。
 どくんっ、
 どくんっ、
 俺の躰に再び、力が漲ってくる。
 今まで、荒かった息も今は落ち着いてきている。
 躰が燃えるように、熱い。
「来ルガヨイ、ソシテ我ト闘イ、ソノ輝ク命ノ炎ヲ、見セルガヨイ……」
 ダリエリが、言葉を吐く。
 ごうっ、
 ごうっ、
 ごおうっ、
 口から獣の叫び声が、漏れる。
 ダリエリの姿は、完全な「鬼」へと変貌を遂げていた。
 俺はヤツを睨み付け、その躰に力を溜め込む。
 足下の地面が、激しく陥没する。
 俺の質量が一気に増えた結果だ。
 ぶんっ、
 と、左手で大太刀を一振りすると、俺は青眼に構えた。
 俺とダリエリは、数瞬の睨み合いの後、
 同時に、疾った。
「むうんっっ!」
「グオオオォォォォ!」
 俺の大太刀が、ダリエリの肩に叩き込まれる。
 だが、それはダリエリの巨大な爪によって弾かれた。
 がぎいぃぃんっ、
 ダリエリの一撃を、大太刀で受け流す。
 手が痺れるような、一撃だ。
「ちっ、」
 俺はその一撃で、ダリエリの実力が他のエルクゥ達とは桁が違うことを感じた。
 続けて、攻撃が繰り出される。
 右。
 右。
 左。
 右。
 左。
 その巨体に似合わない、素早さで連撃が襲う。
 受け流すことに、俺は精一杯だった。
 ――突如、
 どずんっっっ、
 鈍い衝撃が、俺の腹部に叩き込まれる。
 ダリエリの膝蹴りが、俺の躰を捉えていた。
 めきいっ、
 肋骨が折れる、厭な音。堪らず、俺の躰が後ろの岩板に叩き付けられる。
 ごぼっっ、
 口の中に、錆びた鉄のような味が拡がる。
 血の、味だ。
 激痛に、顔を顰める。
「ぐうっっ!」
 地面に俺は血反吐を、吐く。
 ダリエリの爪が更に追い打ちをかけて、俺に襲いかかる。
 俺は直感的に、死を覚悟した。
 ――その時、
 がつんっっ、
 影が差す。小さな人影が、俺の目の前に飛び出し、ダリエリの爪を両手で受
け止めていた。
「…………キサマ!」
 ダリエリが目の前の人影を睨み付け、唸る。
「このひとは殺させるわけには、いかないんです」
 人影の口元に不敵な、笑みが浮かぶ。
 その人影の名は、リズエルと言った。
 めきっ、
 リズエルの腕の筋肉が膨れあがる。ジワリジワリと、ダリエリの腕が押し戻
される。同時に、
 ずんっっ、
 リズエルの周りの地面が、沈む。
「馬鹿ガ、オ前トあずえるニ武術ノ、手ホドキヲ教エタノハワタシダゾ……」
 ダリエリの口元に、ニタリ、と冷たい狂喜の笑みが浮かぶ。
 リズエルが先に、疾った。
 腰の直刃の剣が、鞘鳴りの音をたてる。
 ぎいんっっ、
 ダリエリの躰に、刃が叩き込まれる。
 ぎんっっ、
 ぎんっっ、
 続けて、銀光が繰り出されてダリエリの躰へ、吸い込まれる。
 しかしそれは、ダリエリの巨大な爪と恐るべき速さで弾かれていく。
 不意に、リズエルの躰が宙に、跳んだ。 
「噴っっ!」
 右の蹴りが、跳ぶ。
 ダリエリは難無く、躱わす。
 次に、左からの蹴り。
 これは、アズエルが俺の闘いの時に見せた、三段蹴りだと、俺は直感した。
 ダリエリが左の蹴りを、避ける。
 次に上段からの、踵落としがダリエリの頭上を、襲った。
 しかし、ダリエリはそれすらも、躱わした。
 ――だが、
 ごつっっ、
 次の瞬間、リズエルの爪先が、ダリエリの顎に直撃していた。
 四段蹴りか?
 俺は、驚愕した。
 リズエルは踵落としの着地に、続けて背面蹴りを叩き込んだのだ。
「グオオオォォッッ!!」
 ダリエリが吼え、空中のリズエルの足を掴んだ。
「しまった!」
 リズエルが、叫ぶ。
 ダリエリはリズエルの足を掴んだまま、地面にその躰を叩きつける。
 ずぅんっっ、
 ずぅんっっ、
 ずぅんっっ、
 三度、叩きつける。
 リズエルの口元に、血泡が吹き出る。
「リズエルっ!」
 ――――俺はその時、不思議な既視感を感じた。
 遙か遠い刻の彼方で、同じ光景を見たような。
 どくんっっ、
 どくんっっ、
 俺の中の『何か』が蠢いた。
 どくんっ、
 どくんっ、
 どくんっっ、
「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっっっっー!!」
 俺は、声の限り、吼えた。
 身体中の血が、煮えたぎる様だ。ぶちぶちと、身体中の筋肉が脈打つ。
 地面が、震えた。風が旋を、巻いた。
 異変にダリエリが、気付く。
 そして、リズエルも。
 俺が、疾る。
 飛嚥の如き、速さで。
 大太刀を、振り上げる。
 俺の速さが、更に増す。

 斬る。

 どんっっ、
 リズエルの躰が、地面に落ちる。
 ダリエリの右腕と、一緒に。
「ギオオオォォォォォッッッ!」
 絶叫があがる。
 ダリエリの、声だ。
 右腕の切り口から紅い血が、吹く。
 ずくんっ、
 俺の中の『何か』が蠢く。
 ダリエリの巨体が、跳んだ。
 俺も腰を沈め、一気に跳躍する。まるで羽が生えたかのように、躰が軽い。
 後で跳んだ筈なのに、俺の躰はダリエリの遙か上空に舞い上がっていた。
 大太刀を、上段に振りかぶる。
 ダリエリはそれを見て、左腕で防ごうとする。
 俺は構わず、大太刀を叩き込む。
 渾身の――、一撃を。
「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっー!!」
 俺が吼える。
 斬った。
 ダリエリの左腕を。
 斬った。
 ダリエリの左肩を。
 斬った。
 刃が、肺に到達する。
 斬った。
 胃に、到達する。
 斬った。
 肝臓を。
 斬った。
 勢いは、止まらない。
 ダリエリの躰は、その一太刀で両断された。
 ――勝負は一瞬で、終わった。


   〜4〜
 
 轟音と共に、ダリエリの躰が地面に沈む。
 俺は、素早く着地すると地面に倒れているリズエルへ走り寄った。
「おいっ、しっかりしろ」
 リズエルの華奢な躰を抱き上げ、俺が言う。
 リズエルの瞳が薄く、開かれる。
「…………大丈夫、この程度ならエルクゥの「力」で治せるわ」
 弱々しい声で、リズエルが答える。
 俺はほっ、と安堵の溜息をつく。
 同時にもの凄い脱力感が、俺を襲った。
 数年分の力を、一気に使い果たしたかの様だ。
 暫くは動けそうに、ない。
 ――突如、
 轟音が響き、目の前の地面が土煙を上げた。
 巨大な影が土煙の中から、立ち上がる。
「マダダッ! マダ、終ワランゾォォッッ!!」
 俺は驚愕した。
 ダリエリ、だった。
 左肩から臓器を滴らせながら、立つ姿は悪夢に見える。その瞳には冷たさは
なく、ただ狂喜だけがあった。
 俺は、ただ其処に立ち尽くした。
 ダリエリが再生途中の左腕を、振り上げた。
 俺は、動けなかった。
 ダリエリの爪が、俺を襲う。
 肉を貫く音が、炎の中に響く。
「……リズエル!」
 俺の目の前には、リズエルの姿があった。
 ダリエリの爪は、リズエルの躰を貫いていた。
 ごぽっっ、
 リズエルの口から、血が溢れる。
 どくんっ、
 どくんっ、
 「何か」が再び、蠢く。
 リズエルの躰が、崩れ落ちる。
 時間の流れが、ひどくゆっくり感じられた。
 リズエルの命の炎が眩しく輝くのを、俺は見ていた。
 美しい、輝きだった。
「サアッ、我ト……、闘エ、ソシテ……」
 その時、

 ダリエリの躰が、炎に包まれた。

「ガアアアァァァァァァーッ!、キ、キサマー!!」
 ダリエリが、叫ぶ。
 青白い炎が、ダリエリの躰を焼いていた。
 俺の後ろに人影が、現れる。
 リネット、だった。
「コ、コノ……、裏切リ……モノ……メ」
 ダリエリの躰が、溶け崩れてくる。
 あまりの高温で焼かれている、結果だ。
「……貴方は、私の大事なモノを、奪い過ぎました……」
 リネットが、言葉を吐く。その顔は、泣いていた。
 涙を流す、リネットの顔は炎に照らされ、まるで血の涙を流しているように
見える。
 そして、ダリエリが焼き尽くされた瞬間。
 俺を見て、ダリエリの口がニタリと動いて、こう言ったのだ。
 再び、逢おう――と。

「どうして…………?」
 リズエルの躰を抱き、俺は言葉をこぼした。
「……貴方が、死ぬと、エディフェルが悲しむ、から……」
「姉さん……」
 リネットは懸命に「力」をリズエルの躰に注ぎ込んでいた。
 しかし、それは手遅れと言うことは、俺にも解っていた。
 弱々しく喋りながら、リズエルは咳き込んだ。
 口の中から、紅い血が溢れ出す。
「…………それに、」
「……?」
 リズエルの口元に笑みが浮かんだ。
 あの時の、笑みと同じように。
「エディフェルを見ていて、私思ったの……、私達のやって来たことは間違っ
ていたんじゃないのかって‥‥‥」
「……リズエル」
「私、貴方とエディフェルを見て、命の大切さを知る事が出来たわ……、あり
がとう……」
「いや、死なないで、姉さん……」
 リネットの声が、震える。
「リネット……」
 リズエルの手が、リネットの涙を、そっ、と拭った。
「…………次郎衛門、妹を……お願いします……」
 リズエルの躰が少しずつ、温もりを失ってきていた。
 俺には解っていた。彼女が、どんなつらい気持ちでいたのかを。 
「…………きっと、また逢えるよな?」
 俺の言葉に、リズエルはまるで母親のような笑顔を浮かべた。
「ええ、いつか出逢えるわ……、遠い未来で」
 それがリズエルの最後の言葉だった。
 ふっ、とリズエルの躰が軽くなった。
 その顔はエディフェルと同じように安らかなものだった。

「姉さん……」
 俺の腕に抱かれた、リズエルの遺体を見たリネットはその場に泣き崩れた。
「姉さん、リズエル姉さん……」
 何度も呼びかけるリネットの言葉に、リズエルは答えることはなかった。
 ――結局。
 俺は誰も――、救えなかった。
 エディフェルも。
 アズエルも。
 そして、リズエルすら……。
 俺は、救えなかったんだ。空虚な心が、俺を包む。
 どくんっ、
 俺の中で、『何か』が脈打っていた。
 どくんっ、
 どくんっ、
 どくんっ、
 どくんっ、
「…………次郎衛門?」
 リネットの声が、聞こえる。
 それはひどく遠くから、聞こえているようだった。
「…………殺してやる」
 俺は呟いた。
 殺してやる。
 殺してやる。
 殺してやる。
 コロシテヤル。
 コロシテヤル。
 コロシテヤル。
 コロ…………、
 呪文のように、その言葉が頭を埋め尽くす。
「やめて! 次郎衛門!」
 リネットの声は、もはや俺の耳には届かなかった。
 ドス黒い感情が躰の隅々まで、広がっていくのが判る。
 ごうっ、
 俺の口から、唸り声が漏れる。
 人の声ではない。獣の声だ。
 ごうっ、
 ごうっ、
 俺の躰がメキメキ、と音を立てて、膨らんでくる。
 ごつん、
 頭に、音が響く。
 ごつんっ、
 ごつんっ、
 頭の中から、何かが出てくる。
 めきっっ、
 めきっっ、
 皮膚を破り、額から角が生えてくる。
 俺の躰は、もはや人間のそれではなかった。
 その姿はダリエリより、遙かに大きい。
 身体の大きさは、倍近くになり、重さは十倍にはなっていた。
 コロセ。
 コロセ。
 コロセ。
 俺が叫んでいた。
 俺が吼えていた。
 その時――――、
 俺は本当の、『鬼』になった。

 ごきん、
 頸の骨が、折れる音が響く。
 あらぬ方向へ向いた首から、血を吹き出しながら死んでいく。
 相手の腕を引きちぎり、その腕を頭蓋骨へ叩き込む。
 ぐしゃり、
 と、柘榴を潰すような音がした。
 俺は、嗤っていた。
 俺は殺戮を、楽しんでいた。
 エルクゥだろうと、人間だろうと関係ない。
 ただ、殺すことに無情の喜びを感じていた。命の炎が輝く度、俺は興奮した。
 その時、
「やめてっ、次郎衛門!」
 女の声が、した。
 声の方向へ振り向くと、女が立っていた。
 まだ幼い面影を残した、娘だ。
「もうやめて、次郎衛門。こんな事、エディフェルもアズエルもリズエルも望
んでないわ!」
 エディフェル?
 アズエル?
 リズエル?
 何のことだ?
 俺には全然解らなかった。俺はただ、殺すのを楽しんでいるだけだ。
「もう、エルクゥはいないのよ、私が最後の一人……」
 娘はそういうと、俺の躰を抱きしめる。
 邪魔だ!
 俺は娘の頭を潰そうと、腕を振り上げる。
 一撃で、娘の頭は水風船のように潰れるだろう。
 やめろ!
 俺の頭の中で、声が響いた。
 やめろ!
 やめろ!
 俺の中で、もう一人の俺が抵抗する。
 うるさい!
 うるさい!
 うるさい!
 俺は、もう一人の俺を押さえ込み、娘の頭へ腕を振り下ろそうとする。
 ――――その時、
 声が、響いた。

「……どうしたんです? 耕一さん。何か、悪い夢でも見たんですか?」
 眩しい、朝の日差しの中でリズエルが微笑んでいた。
「負けないで下さい、……いつか再び出逢うために」

「…………何やってんだよ、耕一」
 朝の心地良い路上で、アズエルが俺を睨み付ける。
「あたしとの約束、忘れるんじゃないよ。もし忘れたら承知しないからね」
 悪戯っぽく、アズエルが微笑んだ。

 ――そして、
 優しい声が、響いた。
 決して忘れたくない、声。
 例え、この世の全てを犠牲にしてでも失いたくないひと。
「耕一さん、この想い……、貴方に、伝えたかった……」
 俺の胸の中に、エディフェルの温もりが、伝わる。
「忘れない…………、貴方が忘れても、私はずっと、忘れない…………」
 忘れる?
 忘れるものか。
 俺も、絶対に忘れない。
 きっと再び、お前にめぐり逢い、――そしてきっと、お前を此の手に抱きし
めてやる。
 だから……、待っていてくれ。
 再び、出逢える時を。
「……ええ、待っているわ。何年、何十年、何百年経っても」
 エディフェルが、優しく微笑んだ。
「…………愛しているわ、次郎衛門」

 その声を聴いた時…………、
 俺は、泣いていた。

 気が付くと、俺は広い平原に立ちつくしていた。
 服は破れ、全裸の状態だった。
 血と肉を焼いたような、咽せた匂いが広がっている。
 周りにはおびただしい、エルクゥと人間の骸が転がっていた。
「……次郎衛門」
 俺の胸の中で、声がする。
 瞳を向けると、幼い顔をしたエルクゥの娘が俺の腕の中にいた。
 リネットであった。
「戻れたのね?」
 リネットの瞳には、涙が浮かんでいた。
「…………俺は、一体?」
「もう、いいの…………、もういいの」
 そういうと、リネットは俺の胸の中で泣いた。気が付くと、俺も泣いていた。
 哀しくて、哀しくて、何故だかわかないが俺は声を殺して泣いた。

「私達生きていきましょう、次郎衛門。――また、再びみんなに逢える、その
日まで」
 

   〜終章〜

 ある日。
 静かに、冬の訪れを感じながら一人の男が、山の中を歩いていた。
 その手には、白い菊の花がある。
 年の頃は三十歳前後と、いったところか。その躰はがっしりとして、大きい。
 顔は美男子という訳ではないが、人を惹き付ける魅力がある。
 隆山温泉街の郊外にある、小さな寺に男はやって来ていた。
 その寺の墓地の一角に、古い墓があった。
 墓標は長い風雪の為に擦り切れて、もはや読むことが出来ない。
 男は菊の花を墓前に供えると、ポケットから線香の束を出し、火を付けた。
 そして、しばしの黙祷。
 その時、
「おとうさーん!」
 と言う声が、男の耳に届く。
 男が振り向くと、そこには四、五歳と思われる少女がいた。
 あまり、父親に似ておらず美人顔である。
 多分、母親似なのだろう。
「車にいろって、言っただろ?」
「えー、だってつまんないだもん」
 男は微笑みながら、娘の頭を大きな手で撫でてやった。
 少女は男の前の墓に、目をとめる。
「ねぇ、お父さん。このお墓って誰のお墓なの?」
「ん……? ああ、お父さんとお母さんの、遠いご先祖様のお墓なんだよ……」
「ふぅん……」
 少女は墓に駆け寄ると、その小さな手を合わせて黙祷をする。
 男の口元には、これ以上ない優しい微笑みが浮かんでいた。
 黙祷をすまして、少女は父親の手を引いて行こうとする。
「ねぇねぇ、早く柏木の家へ行こうよ。お母さん、まってるよ?」
「……ああ。そう、だな」
 男が娘の手に引かれて、行こうとしたその時。
"――幸せか?"
 男の耳に、声が届いた。
 振り向いてみるが、そこには誰一人いない。
"――幸せか?"
 再び、声が届く。
 男はふと墓の側に咲いている花に、目をとめた。
 彼岸花――曼珠沙華であった。
"――幸せか?"
 曼珠沙華が、問う。
 優しい、声で。
 男は、微笑んでいた。
 当たり前じゃないか。
 微笑みが、そう言っていた。
「お父さん、はやくはやくー」
 娘に手を引かれながら、男はゆっくりと歩き始めた。

 隆山温泉の郊外の寺には、昔この地に現れた鬼を退治した英雄、次郎衛門の
墓がある。
 しかしその墓の側にひっそりと立つ、四つの無名の墓の名前を知る者はいな
い――。


                               〈了〉

1997.12.5.UP



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