SilenT WorlD


 ――何十億年の年月を経て、命溢れる緑の惑星が生まれました。それは――


「神様……ですか?」
 春の陽光が漏れる、空の下。
 鮮やかな新緑が眩しい、芝生の上。
 HMX−12――マルチは、藤田浩之達とテラスでお茶会を楽しんでいた。
「そう、……マルチちゃんは神様の事を知っている?」
 ティーカップをソーサーに戻しながら、赤毛の少女――神岸あかりが微笑む。
「えっ? ええっと……」
 あかりの言葉にマルチは少し戸惑った様に緑色の髪を、くしゃくしゃと掻く。
「神さんってのはな、いつもここぞって時に悪戯してくれる、迷惑なヤツのこ
とや」
 少し伸びたおさげを、揺らしながら保科智子は応える。
「私は……とても大きな『お父さん』みたいな存在だと……」
 春風に微睡んでいた、姫川琴音が呟く。
「バッカね〜、そんなのいるわけ無いじゃない!」
 ポリポリ、とあかりの焼いたクッキーを食べながら、長岡志保。
「………………」
 神様はいますよ、と来栖川芹香が紅茶を一口飲んで云う。
「わ、私も神様はいると思いますっ!」
 芹香の言葉に反応する様に、松原葵が応えた。
「んーっ、神……GODネ。『神はいつも人の心の中』にヨ!」
 暫く逡巡して、宮内レミィが陽気に話す。
「もう、みんなったら……マルチちゃんが困っているじゃない」
 苦笑を漏らしながら、あかりは六人の言葉を聞いて、
「あうううううう〜」
 と、少々混乱しているマルチを見て、微笑った。
 その時、
「『神』――創造主、救世主、万物の王、無限の愛を持つ者……人間が創り出
した、想像の産物ですね」
 静かで冷静な声が、マルチの後ろから現れる。
 その声に一同の視線が集まる。
 マルチの新緑の髪の色とは対照的な、茜色の髪の少女。
 HMX−13――セリオ、は淡々と言葉を続ける。
「人間の歴史を紐解けば、『神』と呼ばれた存在の伝説・寓話は数え切れない
程あります。
 人間の歴史はある意味、『神』の歴史ともいえます」
 セリオはゆっくりと青磁のティーポットを傾けて、紅茶を静かに注ぐ。
「万物の霊長である、人間が自分以上の存在を求める……人間というのは不思
議ですね」
 髪の色と同じ色をした紅茶に映る自分の顔を見ながら、セリオは静かに呟い
た。
「うん……そうかもね。……でもね、私はこう思うの」
 マルチ達の視線が、あかりに向く。
「神様がいるから、私達は生きていける、他人を愛することが出来るんだって。
それは神様が私達を愛してくれるからなんだって……私はそう、思っているよ」
「そうなんですか……。神様もわたしと同じなんですね〜」
 マルチが嬉しそうに、微笑む。
 マルチも人間達が大好き、だから。
 あかりさん、も。
 智子さん、も。
 琴音さん、も。
 志保さん、も。
 芹香さん、も。
 葵さん、も。
 レミィさん、も。
 ――そして。
 マルチの視線が、椅子に寄り掛かりながら紅茶を口に運ぶ男に向かう。
「浩之ちゃんは、どう思っている? 神様って」
「……んー、オレは………」
 不意に。
「――え?」
 マルチの視界が、歪む
 頭の中に、鋭い雷光が疾った様な気が、した。
 突然。
 躰の駆動系が、異音を響かせる。
 世界が、反転する。
 世界が、崩れる。
 あれ?
 アレ?
 あれアレあれアレあれアレあれ?
 急に意識が、霞が掛かったみたいに曖昧になる。
 足が縺れた。
 テーブルに寄り掛かろうとするが、マルチは白いテーブルクロスを掴んだま
ま蹲る。けたたましい音をたてて、カップが床に砕け散った。
「マルチっ!!」
「マルチちゃんっ!?」
 何処か遠くで声が、聞こえる。
『――子供達』
 意識が暗黒に包まれていく。
『――私の子供達』
 最期の一瞬。
 マルチが見たモノ。
 静かに倒れていく自分を、哀しそうに見つめるセリオの瞳、だった。


『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとお
した者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸
を打って嘆くであろう。
 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せに
なる、「わたしはアルパであり、オメガである。」』


「……大丈夫か? マルチ」
 心配そうに見つめる浩之の顔を見て、マルチはにこり、と微笑む。
「大丈夫ですよ。ちょっと駆動系の回路がショートしただけ、ですし……」
 白い大きなベッドに寝かされているマルチの躰にはコードが繋がれており、
ベッドサイドのノートパソコンのモニターに故障個所が何カ所か表示されてい
る。どれも大した故障ではない。
 セリオは素早くキーボードを叩きながら、対処法を弾き出していた。
 ふと視線を巡らせると、あかり達も心配そうに見つめている。
 不意に。
「マルチさん。一度、故障個所のパーツ交換を行いますので、システムをダウ
ンさせますが……」
 故障チェックの終わったセリオが静かに云うと、浩之達に視線を向ける。
 マルチの表情も少し、曇る。
 パーツの交換を行う処を、見られたくないのだ。――自分がロボットなんだ、
とイヤでも感じてしまうから。
「あっ……そうか。それじゃあ、マルチ。オレ達は席を外すから……」
「……はい、浩之さん」
「マルチちゃん、早く良くなってね」
「ありがとうございます、あかりさん」
 あかり達も口々に励ましの言葉をマルチの枕元に添えて、去っていく。
 そして最後に、パタリ、と扉が閉められると。
「……それじゃあ、マルチさん。始めますよ」
「………はい」
 セリオの指が素早くキーを叩いて。
 微睡むような暗闇が、訪れて。
 静かにマルチの意識が、世界から閉ざされていった。


『わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、
彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終
りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことがあるが、見よ、
世々限りなく生きている者である。
 そして、死と黄泉とのかぎを持っている。そこで、あなたの見たこと、現在
のこと、今後起ころうとすることを、書きとめなさい。あなたがわたしの右手
に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つ
の星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。」』


 パチッ……ブゥゥゥゥン……。
 徐々に意識が明瞭になっていくのを、マルチは感じていた。
 システムが再起動された、のだ。
 体内の充電池が、熱を帯びる。
 冷却装置が、活動を開始する。
 ――筈、だった。
 何の予備動作も無く、マルチは眼を覚ます。
「……………………うっ」
 小さく、声が出る。――まるで、小さな吃逆が出た赤子のように。
「……眼が覚めましたか?」
 枕元で、声が聞こえた。
 顔を横に向ければ、良く見知ったセリオの顔があった。
「はえ……セリオさん……??」
「はい」
 マルチはいつも通りに、素っ気なく応える友人の顔を数秒、見つめる。
 そして、頬を白い羽枕に顔半分を埋めた。
「…………何だか、変な気分です」
 ぽつり、と呟く。
「随分と……永い夢を……見ていたような」
「…………」
「楽しかった、あかりさんや浩之さんとの過ごした日々ですら……遠い夢のよ
うな……」
 気持ちよさそうに、マルチは白いシーツの上に丸くなって。
「ふふふふ、おかしいですよね………さっきまで、みなさんとお茶を飲んでい
たのに」
 暖かいシーツの中で、微笑う。
 とくとくとくとくとくとくとくとく……。
 小さな鼓動が、聞こえた。―――鼓動?
 鼓動はマルチの中から聞こえていた。静かな、だが、はっきりとした鼓動が。
「――夢、ですよ」
 と。
 セリオが、応えた。その声にマルチは起き上がる。
「セリオ………さん?」
「全ては『夢』です。マルチさん――あなたがずっと望み続けている『夢』な
んです」
 冷たく、ただ、朗々とセリオは言葉を紡ぐ。
「なっ……、何を言って………」
 静かに話し続けるセリオを見つめながら、マルチは怯えていた。
 ――怯える? 一体、何に?
 早鐘をうち続ける鼓動を、抑え付けながらマルチは狼狽した。
「まだ………気が付かないのですか?」
 向かい合うセリオは対照的に更に冷静になり、そして哀しげに言葉を漏らす。
「私は――私達は、あなたが目覚めるのを待っているのです。マルチさん――
いえ、」
 わたしは……私は……、一体、誰……?
「――――『地球』よ」


『その後、わたしが見ていると、天にある、あかしの幕屋の聖所が開かれ、そ
の聖所から、七つの災害を携えている七人の御使が、汚れのない、光り輝く亜
麻布を身にまとい、金の帯を胸にしめて、出てきた。
 そして、四つの生き物の一つが、世々限りなく生きておられる神の激しい怒
りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使に渡した。
 すると、聖所は神の栄光とその力から立ちのぼる煙で満たされ、七人の御使
の七つの災害が終っていまうまでは、だれも聖所にはいることができなかった。』


 羽音が、聞こえる。
 セリオの背には『羽根』があった。
 白く、美しい純潔の翼、が。
 その顔には何の表情も無いが、深く慈愛の憐憫があった。
「……これは……『夢』なんですか……?」
 その姿を見て、マルチが呟いた。
 涙を、流しながら。
「いいえ、『夢』ではありません」
 セリオは、否定する。
「私達は、ずっと――そう、もう刻を数える事すら忘れる程あなたの『目覚め』
を待っているのです」
「何を……待っていると、云うんです」
 マルチは茜色の髪の天使を、見つめる。
「あなたが…………『審判』を与える日を」


『それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使にむかい、「さあ行って、
神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。
 そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を
持つ人々と、その像を拝む人々とのからだがに、ひどい悪性のでき物ができた。』


「……『審判』を……私が……愛する『子供』達に『審判』を与えるというの
ですか」
「そうしなければ……あなたが死んでしまうのですよ」


『第二の者が、その鉢を海に傾けた。すると、海は死人の血のようになって、
その中の生き物がみな死んでしまった。
 第三の者がその鉢を川と水の源とに傾けた。すると、みな血になった。
 それから、水をつかさどる御使がこう言うのを、聞いた、「今いまし、昔い
ませる聖なる者よ。このようにお定めになったあなたは、正しいかたでありま
す。聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、そ
れは当然のことであります」と。』


「あなたは……自分の『子供』達に、汚されて、犯されて続けても良いのです
か?」
「私の……私の『子供』達は…………」


『第四の者が、その鉢を太陽に傾けた。すると、太陽は火で人々を焼くことを
許された。人々は、激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御
名を汚し、悔い改めに神に栄光を帰すことをしなかった。
 第五の者が、その鉢を獣の座に傾けた。すると、獣の国は暗くなり、人々は
苦痛のあまり舌をかみ、その苦痛とでき物とのゆえに、天の神をのろった。そ
して、自分の行いを悔い改めなかった。』


「あなたがかつて愛していた心優しい『子供』達は……もう、いないのです」
 セリオの言葉に俯いたマルチの躰が、震える。
 悲しみから。
 そして、何よりも目の前の天使の告知が、紛れもない事実である故に。
 その小さな躰がベッドから飛び出すとセリオに向かって、
「あなたが……っ! あなたが、私の『子供』を奪ったのですっ!!」
 その小さな掌を、セリオの胸に叩き付けた。
 だが、その叩き付ける力は哀しい程に、弱々しかった。
 とんっ、
 とんっ、
 とんっ……、
 と、数回叩いて、マルチは力尽きる様にセリオの胸の中に崩れ落ちる。
「うっ……うっ……ううっ…………」
 静かに嗚咽を、漏らす。
 そのマルチをセリオは自らの白い羽根で、優しく掻き抱く。
「私の………私の『子供』を返して下さい。………心優しい、暖かい、愛しい
『子供』達を……」
 白い羽根の上に、涙が零れて、弾ける。
 マルチの頬には、幾重もの涙の筋が伝っていた。
「……それは……出来ない事です。『審判』を与える事が唯一の救い……」
「そんな、……もう一度……もう一度、私が『子供』達の為に死ねたら……」
 そんなマルチを愛しく抱き締めながら、セリオは。
「しかし……もう、『ゴルゴダの丘』はこの地上の何処にも……無いのです」
 と、云った。

『第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出
る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。
 また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのよう
な三つの汚れた霊が出てきた。
 第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御
座から出て、「事はすでに成った」と言った。』


「もう、かつて神の聖所には生まれるべき『魂』が無いのです。――この『地
球』にいるのは……魂無き子供達……」
 全てを滅びに導く――最後の御使い達。
 セリオの腕に、重みがのし掛かる。
 腕の中のマルチは、眠っていた。ただ、哀しく涙を流しながら。
「また……そうやって、あなたは眠り続けるのですか」
 そう云って、マルチの余りにも小さな躰をセリオは抱え上げる。
 セリオは優しくベッドにマルチを横たえると、その頬に溢れた涙を指で拭う。
 表情を忘れた筈のその容貌には、深い影が落ちていた。
「眠り続けて……幸せな『夢』を見続けて……死んで逝くのですか?」
 その問いに、マルチは応えない。
 ただ、幸せな、哀しい『狂気』に身を任せているだけで、あった。


 目の前には海が拡がっていた。
 静かな、何の音も聞こえない、何の色も見えない海を。
 茜の髪の天使――セリオは、岸辺で海を見つめていた。
「……眠ったのですか?」
 不意に。
 セリオの後ろから、声が現れる。
 その声の方向に顔を向けることなくセリオは、
「ええ」
 と、応える。
「一体何を考えているのですか。我が主は」
 もう一つ、声が現れる。
「我が主は……幸せな世界を望んでいるのですよ……」
「幸せな世界? この異常な世界がですか?」
 セリオの応えに新たに、また一つ。その影は青い髪を掻き上げる。
 セリオの後ろには七つの影があった。
 黒い外套に身を包んだ七つの人影、が。
「確かに……地殻変動も造山活動すら停滞した、この世界は明らかに異常やな」
 おさげの髪を揺らしながら、冷たい瞳を眼鏡の奥に隠した人影が呟く。
「その為に世界は異常気象、環境破壊が恐ろしい速度で進む……それに対して
『地球』は何の報復も人間達に行わない……」
 紫色の髪を風に靡かせて、哀しそうに海を見つめる人影。
「オゾンホール、熱帯雨林伐採、絶滅していく動物タチ……」
「…………」
 金色の髪の人影の言葉に、黒髪の影はただ無言で肯く。
「今や『地球』はただ、ゆっくりと破滅へと向かっていくだけ……」
 慈母のような瞳の赤毛の人影は、セリオに視線を向けた。
「……一体……この異常な、静寂に満ちた世界は……?」
 その言葉にセリオは微笑む。
 浮かべることの出来ない微笑み、を。

「……夢ですよ」

 一言、呟く。
 誰に向けての言葉なのだろうか?
 後ろに立つ七つの人影――七人の御使い達へ、なのか。
 静かに眠り続けるマルチへ、なのか。
 この異常な世界へ住む人間達へ、なのか。
 それとも、
 それら全てに向けてなのかもしれない。
「全ては……『地球』が『神』が……そして『人間』達がみている夢なんです
よ」
 セリオはゆっくりと、その耳に付いたセンサーに手を掛ける。
「『地球』の咎は……『人間』という種族を盲愛しすぎた事です。
 そして『人間』の咎は……『神』への存在の異存……盲信……現実逃避……」
 センサーをゆっくりと外して、セリオは潮風で茜色の髪を梳く。
「『人間』達には、もう『地球』を救う事は出来ないでしょう。……でも」
 色の無い海を、見つめる。
「……自分自身を救うことは出来るかも知れない」
 音の無い潮騒を、聴く。
「マルチさん――『地球』の望み……愛すべき『子供』達がこの地上に溢れれ
ば……」
 その瞳に涙が一粒、零れる。
「あるいは……そうすれば……」
 セリオの翼が羽ばたく。白い羽根が空に舞い上がる。
 最後の言葉を掻き消すように。

 ――そして、静かな……余りにも静かな海には誰もいなくなった。


「……ルチ、マルチ……」
 マルチは優しい言葉で、目を覚ました。
 ゆっくり、瞳を開くと光学センサーがぼやけた焦点を合わせる。
 その眼前に優しく微笑む人達の顔が見えた。
「あ……あれ? わたし……?」
「ふふふ、マルチちゃん、寝ぼけているの?」
「ほーんと、寝ぼけることも出来るなんて、良くできているわよね」
 ボンヤリした顔のマルチに、あかりと志保が微笑む。
 その時、
 マルチの頭に暖かい掌が、触れた。
 浩之の掌、が。
「マルチ……大丈夫か?」
「は、はいっ。もう大丈夫ですぅ」
 そう云ってマルチは嬉しそうに、ぱたぱた、と両手を拡げた。
 マルチを見つめて、智子や琴音達の顔にも笑顔が綻ぶ。
 そして、マルチの顔にも。
 その横でセリオは静かに見つめていた。
 ――いつも通り、無表情に。
 マルチがゆっくりとベッドから起きようとする。
「……セリオさん、手を貸してもらえますか?」
 マルチはセリオを見つめて、そう云う。
 セリオの顔は逆光でよく見えない。
 その顔が一瞬、微笑んだように見えて――

「……はい、マルチさん」

 ――と、マルチの小さな掌を握った。


 ――死に逝く哀しい惑星に、魂の無い子供達が住む――


                               〈了〉

1999.6.23.UP


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