炎宴の後・秘話 「闘姫と剣巫女」



 森に、静かに木漏れ日が、差す。
 野鳥の声が、響く。
 郭公。
 四十雀。
 不如帰。
 色々な野鳥が、歌う。
 秋。
 静かに紅葉が、色付く。
 春には無い静かな美しさが、其処にはあった。
 その中を疾る影が、ひとつ。
 女だ。
 黒く艶やかな髪を、風に靡かせている。
 その躰には、一風変わった鎧を纏っていた。
 だが、よく似合っている。
 その瞳は、深く、澄んでいた。
 美しい、女だ。
 名を、リズエルと言った。
 エルクゥ皇族、四姉妹の長女。
 遙かな、星の海を渡ってきた、異郷の地の者だ。
 そのリズエルを追う影が、二つ。
 森の木々を擦り抜け、恐ろしい速度で疾る。
 リズエルも疾る速度を、増す。
 ざざ、
 ざんっ、
 ざんっ、
 枝の上を飛び移りながら、疾る。
 突如、
 リズエルの躰が方向を、変える。
 追っ手に、向けて。
 リズエルの手が、腰へ伸びる。直刃の剣が、鞘鳴りの音を立てる。
 日差しに輝く銀光が、疾る。
 ざむっっ、
 すれ違い様に追っ手の肩へ、刃が潜り込む。
 声も無く追っ手の一人が地面へ、落ちた。
 リズエルの躰が、跳ぶ。もう一人に、向かって。
 ぎぃんっっ、
 鈍い音と、火花が散る。
 一合、
 二合、
 三合、
 剣を、打ち合う。
 そして、四合目。
 ぱきいぃぃっっんっ、
 澄んだ音が響き、追っ手の剣が、折れる。
「……なっ!」
 追っ手が驚き、そう言うが早いか。
 リズエルの剣は、相手の腹部に滑り込んでいた。
 どさり、と音を立て、二人目の追っ手も地に落ちる。
 リズエルの息は、一つも乱れていない。
 しかし、
 リズエルの躰からは『闘気』が消えていない。
 瞳が金色に、輝く。リズエルは感じていた。
 いや、リズエルの中の『エルクゥ』が感じていた。
 『敵』の存在を。
 これから起こるであろう、命を賭けた死闘を。
 風が、止んだ。
 鳥達の歌声が、消える。
 全ての時が、止まる様な錯覚を覚える。
 リズエルの前に影が、降り立つ。
「…………やはり、貴女が来たのね」
 目の前の影にリズエルが言葉を、吐く。
 その言葉は、喜んでいるのだろうか?
 それとも、悲しんでいるだろうか?
 それを知る術は、無い。
 リズエルの前に立つ影は、同じ金色の瞳をしていた。
 しなやかな、野生動物を思わせる躰には、軽装の鎧を纏っている。
 影の名は、アズエルと言った。

 リズエルが剣を青眼に、構える。対して、アズエルは無手であった。
 しかしその拳は、リズエルの剣に勝るとも劣らない、『力』があった。
 アズエルの躰が軽く沈み、
 ――たんっ、
 地を、蹴った。
 先手は、アズエル。
 左拳の、掌打。
 リズエルの躰が、後ろへ跳ぶ。掌打の威力を、半減させる為に。
 がつんっ、
 アズエルの掌が、リズエルの鎧に当たる。
 同時に、リズエルの剣が風凪の音を起てて舞う。
 上段からの、唐竹。
 その動きにアズエルも、反応した。
 両手を交差させ、籠手で受け止めようとする。
 突如、
 銀光の軌跡が、変わる。
 ――だが、次の瞬間。
 アズエルの左腹部に剣が叩き込まれていた。
「ぐうぅっ!!」
 アズエルの躰が、横に転がる。
 だが、素早く体制を立て直し、再び対峙する。
「……退きなさい、アズエル」
 静かにリズエルが、言う。畏怖に満ちた、声で。
「…………イヤだ」
 アズエルが口元の血を拭って、言う。不敵な笑みを含んだ、声で。
「どうしたんだよ、姉さん?」
「…………」
「まだ、エディフェルの事を、悔やんでいるの……?」
「!!」
 リズエルの表情が、変わる。
 視線を、逸らす。自分の掌を、見る。
 実の妹を殺めた、手を。
「…………やっぱり、そうなんだ」
 アズエルの金色の瞳が、曇る。
「だから、なのかい?」
 再び、アズエルが問う。
 エルクゥの同志達を、裏切ったのも?
 そんな、悲しい眼をしているのも?
 姉妹で、闘わなくてはならないのも?
 ――答えは、無い。
「…………連れて帰るよ」
 ハッキリとした口調で、アズエルが言う。
 自分自身に宣言する様に。
「絶対に連れて帰る、――例え、姉さんを傷つけても」
 約束したから。
 四姉妹の中で、アズエルが一番愛している妹・リネットと。
 必ず、連れて帰ると。約束したのだ。
 アズエルが体内の『エルクゥ』を目覚めさせる。
 ずんっっ、
 地面が、陥没する。
 アズエルの質量が、増大する。
 リズエルも体内の『エルクゥ』を開眼させる。
 互いの金色の瞳が、輝く。
 リズエルが剣を、構える。アズエルが呼気を吐き、拳に力を溜める。
 二つの影が、
 同時に、疾った。
 リズエルの斬撃が、放たれる。
 右切上。
 其処から袈裟切りへ、繋げる。
 きいんっ、
 それをアズエルは籠手で、弾く。
 アズエルが反撃に、移る。
 左の手刀、
 其処から遠心力を加えた、裏拳を打つ。
 それを紙一重の『見切り』でリズエルは、避ける。
 アズエルの躰が逆回転する。
 右足の、下段蹴り。
 しかしリズエルもソレを察して、剣を振る。
 大きく踏み込んだ、左切上。
 まともに打ち合えば、アズエルの足が切り落とされる。
 アズエルは、野生動物の様な恐るべき反応で、跳ぶ。
 左足、一本でだ。
 ふわり、
 と、その躰が宙を舞う。
 剣を握ったリズエルの右腕に、アズエルの躰が被さる。
「――くっ、」
 妹の狙いにリズエルも気付き、腕を引こうとする。
 しかし、遅かった。
 右腕にアズエルの全体重が掛かる。
 アズエルは右腕にぶら下がるように、腕の関節を極めていた。手首も極めら
れ、握られた剣が地面に突き立つ。
 ――飛燕十字固め。
 俗に言われる『飛び関節』の技の一つである。
 みちっ、
 みちっ、
 リズエルの右腕の関節が、悲鳴をあげる。腕が折れるのも、時間の問題とい
えた。
 しかし、
 アズエルを抱えたまま、リズエルの躰が宙を跳んだ。
「なにっ?」
 驚愕の声を、アズエルがあげる。 
 同時に。
 アズエルの後頭部に鈍い衝撃が、疾った。
 地面に叩き付けられたので、ある。
「ぐうっ、」
 あまりの激痛にアズエルは、技を解く。
 リズエルは右腕を押さえながら、間合いを取った。
 正に、死闘といえた。一瞬の油断が死を、招く。 
 再び、アズエルが間合いへ、踏み込む。
 しゅっっ、
 鋭い呼気が、迸る。
 アズエルが下段蹴りを、放つ。
 それを予測して、リズエルも膝で防御する。
 しかし、アズエルの蹴りは膝が伸びる寸前、中段蹴りへと変化する。
 しなやかな鞭のような蹴りを、脇腹に打ち込む。
 リズエルの躰に、ずんっ、と重い衝撃が伝わる。
「かはっっ!!」
 一瞬、息が詰まる。
 だが、攻撃は終わらない。
 中段からの手刀を繋げて、後ろ回し蹴りを見舞う。
 そして、掌打を腹部に叩き付ける。
 強力な、当て身。
 リズエルが短く呻いて、躰を折る。
 その瞬間。
 リズエルが傷ついた右腕で、アズエルの腕を掴む。
 密着するほどの、間合い。リズエルの左掌が、アズエルの胸部に重なる。
 しまった!
 アズエルが、驚愕する。
 リズエルはコレを、狙っていたのだ。
 体内の『エルクゥ』をリズエルは一気に、発動させる。
 身体中の筋肉が、うねりをあげる。
 『力』の振動が一点に、収束する。
 リズエルの左腕に。

 ガアアアアァァァァンッッ!

 まるで巨大な鉄骨が打ち合うような、音が響く。
 アズエルの躰に衝撃が奔り、同時に吹き飛んだ。
 勝負は、決した。

「…………起きれそう?」
 ゆっくりとアズエルの傍らに立つ、リズエル。
「……暫くは、無理。脾臓と骨をやられているから」
 アズエルが、そう言う。その声には憎しみも、怒りも、無い。
 それどころか、アズエルの口元には笑みすら浮かんでいる。
「……まさか、あんな密着した距離で『鬼勁』を打つ、なんてね……」
 鬼勁。
 原理としては『発勁』の技に、近い。
 ただ違う点は『発勁』が体内の『氣』を使うのに対して、
 『鬼勁』は『エルクゥ』の力を使うところにある。 
 但し、威力は比べ物にならない程、強力。
 下手をすれば、躰が千切れ跳んでいる。
 しかし、リズエルは『鬼勁』を打つ瞬間、無意識に手加減をしていた。
「……姉さん」
「何?」
「教えて欲しいの、エディフェルは本当に幸せだったの?」
 アズエルが、問う。
 まるで母親の様な笑みをリズエルは浮かべる。
「…………ええ、本当に幸せそうに、笑っていたわ」
「…………そう」
 満足そうにアズエルも、笑う。
 涙を、流しながら。
 リズエルは、そっ、と立ち去ろうとする。
「アズエル……」
「……何?」
「貴女も、『あの人』に会いなさい。エディフェルが愛した『あの人』に……」
 そうすれば。
 私の気持ちも、解ってくれる。
 リズエルの後ろ姿が、そう語っていた。
 闘いで凍り付いていた、時が再び動き出す。
 木々に光が、差し込む。鳥達が再び、歌い始める。
 風が、優しく吹いてきた。
 リズエルの姿は、消えていた。
「『あの人』に会え、か……」
 日差しの中で、アズエルは呟いた。
 会ってみよう。
 アズエルはごく自然に、そう思っていた。
 なんだか、とても優しい気分になっていた。
 そんな美しいエルクゥの姫を、秋の木々は優しく包んでいた。


                               〈了〉

1997.12.21.UP 


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